虎に翼 第51話
花岡(岩田剛典)が死んだ。
配給分以外にまったく食料がないのならともかく闇買いで得ることができる状況なのに、配給だけで生きてゆけという法を守った者が死んだのなら、国の失政の証だ。戦死、戦病死した人々と同じく「可哀想に」と涙するだけで済ませてはならない犠牲者だ。
チラリと映る新聞に「花岡判事の日記」が記事として載っている。
「食糧統制法は悪法だ、しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従せねばならない。自分はどれほど苦しくともヤミ買い出しなんかは絶対にやらない、したがってこれを犯すものは断固として処断せねばならない。自分は平常ソクラテスが悪法だと知りつつも、その法律のために潔く刑に服した精神に……」「自分の日々の生活は死の行進であった」
花岡自身も悪法だと考えていた。それでも、判事として守らねばと。やはり失政の犠牲者でないか……。
訃報に接して、時が止まったような司法省の男性たち。そして、同じ新聞を街頭で読み、呆然とする復員兵……髭がないので一瞬誰かわからなかったが、轟(戸塚純貴)!?
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焼け跡の街頭でヤケになって呑んだくれる男、たしかに轟!そして彼を蹴って起こす……よ、よね(土居志央梨)!!!安否が気になっていたふたりが一度に画面に戻ってきた。
そして、焼け残ったカフェ燈台での、このふたりの会話場面。冒頭のストップモーションのように制止した男たちといい、ここも人物の配置とライティングが舞台演劇のようだ。壁に書かれた日本国憲法第14条。それに目をやりながらよねが語るという構図で、更に舞台演劇的効果が高まる。
引き込まれる演出だなと思って観ていた。
「ずっとこれがほしかったんだ。私たちは」
私は、ではない。あの法科女子部の仲間とともに欲した社会。
「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ。戦争なんかのおかげじゃなく」
そう。多大な犠牲を払わずとも当たり前に手に入って然るべきものだ……という憤り。これは戦中と変わらず、よねが持ち続けている怒りなのだろう。
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よねが指摘し轟が「よくわからない」と言った、轟の花岡への愛。
「白黒つけさせたいわけじゃない。ただ、私の前では強がる必要がないと言いたいだけだ」
強がって思いに蓋をして……あるいは無かったことにしてしまう可能性を、よねは危惧したのか。今はそれでよくとも、深い傷となって疼き続け、いずれ轟の心を壊すかもしれない危険性を。
「あいつが判事になって、兵隊に取られずに済むと思うと嬉しかった。あいつがいる日本へ、生きて帰りたいと思えた」
自分の命よりも大切な人がいる、その人がいるから生きたいという願いは、愛だ。
歌手の美輪明宏は戦後、同性愛者であることを公言した理由を「当時は同性愛者であるとバレたら会社をクビになった。自殺する人もいっぱいいた。とにかくそれを阻止したくて」と様々なインタビューで述べ、自身の著作にも書いている。
その存在を当たり前にすることが、差別への抵抗の第一歩ということだ。
初回から、皆が暮らす街の至るところに様々な立場の人がいると示してきた『虎に翼』である。
轟もその一人だ、という話なのかもしれない。
よねと轟のバディ。寅子(伊藤沙莉)との再会はまだ先のようだが、皆が法曹界にいるのなら、きっとまた会える。
(つづく)