虎に翼 第69話
虎の咆哮であった。
恩師・穂高先生(小林薫)の最高裁判事退任祝賀会の会場で花束贈呈役を拒否し怒りを爆発させた後に、うおぉおおおおおお!!!と叫ぶ寅子(伊藤沙莉)は、おとなしく檻には入らぬと宣言する虎だった。
誰もが少しずつ間違えてあの場に立っていたのだ。
かつて(30話)金屏風の前で、与えられた栄誉に感謝しスンッとなることなく「私たちは怒ってるんです」と演説した寅子。彼女がそういう女だと知っていたはずなのに「名誉なことだから君が喜ぶと思ったんだがな」と花束贈呈役を彼女に当てた桂場(松山ケンイチ)。
スンッとした態度なんて貫き通せやしないのに、納得できない花束は渡せない性分なのに、中途半端に引き受けて会場まで来てしまった寅子。
「大岩に落ちた雨垂れのひとしずくに過ぎなかった」と自身を評した穂高先生。
穂高先生が導いた女性たちのうち、この会場に辿り着けたのは寅子ひとり。他の名もなき、無数の雨垂れ……法科女子部の皆、あるいは学ぶことすらできなかった女性たち。彼女たちと、雲の上から雨垂れを生み出し最高裁判所判事という地位を得た男性が、同じひとしずくの筈がない。
壮大なる謙遜の言葉、会場に集まった紳士たちなら「先生、そんなことはありませんよ。先生のご功績は確かなものです、ご立派です!」と讃えたことだろう。でも、寅子にはそれはできない。なにをフォロー待ちの言葉を壇上から言ってくれちゃってんだ、というやつだ。
穂高「謝ってもだめ、反省してもだめ。じゃあ私はどうすればいい!」
寅子「どうもできませんよ!」
目の前にいる寅子のこれからの処遇をどうこう、という話ではないのだ。彼女は大岩の前に散っていった女性たちを思い激怒したのだから。確かに、どうもできない。雨だれは流れ落ちて消えた。人生は不可逆なのだ。
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寅子の怒りは理解する。そしてこれが、法の世界の父である穂高先生をみたびはっきりと否定した、いわゆる父殺しであることもわかる。第14週のテーマのひとつが「尊属殺人」であることとリンクしていて、その仕組みに唸る。
激怒はヒロインとして人物像にブレがなく、好ましく感じているのだ。
ただ、長年この世界に身を捧げ、たとえ世間から叩かれようと大勢から否定されようと立ち向かってきた一人の人間(男性とか女性とか、恩人であるとかはこの際関係ない)が退くというこの時に、この怒号はあまりにも残酷であった。
花束贈呈を拒否し出て行った教え子を目にした、そして廊下から響いてくる声を耳にしてしまった列席者はさぞいたたまれなかっただろう。
自分語りになるが、私も昔は寅子のように場の空気に関係なく吠えたことはある。そして足音高くその場を後にしたことも。そして今はそこそこ年を取り、ライアン(沢村一樹)と多岐川(滝藤賢一)と同じく、何事もなかったかのように取り繕う役目を負う立場となった。
啖呵を切って立ち去った若い人に対して、若いなあ……あとで夜中に思い出して(やっちまった!)と頭を抱えてのたうち回るんだろうなと想像しながら。
屋上へのドアを荒々しく開けて虎の咆哮のあと、それでもふと我に返って(……!やっちまった……)と膝から崩れ落ちる寅子を観て、テレビの前で「意外に早く気づいたな」と思ったのだった。
(つづく)