料理をすることから逃げていた頃の話

自分にかけた呪い

わたしはいま40代ですが、20代のなかばまで料理をしたことがありませんでした。お菓子はときどき作っていましたが、毎日の食事として口にするようなごはんやおかずはに一切手を出しませんでした。自分がそれを避け、逃げていると気がついたのはだいぶ後のことです。その理由が母親の態度だったと気がつき、愕然としたのでした。

それは小学4年生頃の出来事でした。調理実習で人参とピーマンの炒め物を作り、そのあと家でも復習してみたのです。初めて自分でできたという誇らしい気持ちでお皿を出すと、母親はそれを一口食べて「うん…」と言いました。顔にはあきらかに「まずい」と書かれていました。

その態度に衝撃を受けたわたしは、それ以降二度と料理をしませんでした。母親が悪いとは言いません。娘を傷つける意図があったともおもえません。しかしわたしがつらい気分になったのは事実です。
そのときに「わたしの作る料理はまずいんだ。だから料理なんかしない方がいいんだ」という呪いをみずからかけてしまったようです。そしてそれを自覚することもないまま時間が経ちました。

子供がおぼつかない手つきで作った料理は確かにおいしいものではなかったでしょう。それでももし母親が「初めて料理できたね。すごいね」と褒めてくれたり、今度一緒に作ってみようと誘ってくれたりしたなら、その後のわたしの人生は変わっていたはずです。

しかし母親がそうした性質ではないこともわかっています。彼女は台所に立つときいつも一人で、他人の気配を嫌がりました。専業主婦であったためか、食事を作るのは自分の役割であるという自負も感じられました。ですからわたしは料理を教えてもらう機会も、皿洗いを頼まれることすらなく成人しました。

開放

その呪いから解かれ始めたきっかけもまた母親でした。関係が悪化し、ともに食事をとることが苦痛になってきたのです。出されたごはんを食べるのも嫌になり、わたしはおずおずと台所に入ってすこしずつ料理に挑戦し始めました。

台所に立つという行為はお菓子作りの時と同じなのに、これから食事をつくるのだと考えるととても緊張しました。当時はまだ呪いの存在を知りませんでしたが、いま考えると自分にずっと禁止していた行為を実行するためにはかなりの勇気が必要だったのでしょう。それは初めて洗髪をした時のような「禁忌を破る」行いでした。

それからは、作ったものを自分の部屋に運んで一人でゆっくり食べるようになりました。家族は一緒に食事をとらねばならないという思い込みがあったので始めは罪悪感がありましたが、そこから自由になると穏やかな気持ちで生活できるようになりました。

子供の自分に言いたいこと

今は、自分の食事を賄える程度には成長できました。料理がそれほど好きでもないので簡単なものしか作りませんが、それで充分です。無理をして家族での食事を続けなくてよかったとおもっています。

今回の件の他にも、親の言葉や態度が数十年ものあいだ自分に影響を及ぼしていたことに、成人してから気づく場面がたびたびありました。わたしが親になりたくない理由はそこにあるのかもしれません。自分がなにげなく発した一言が子供の人生を左右してしまうなんて、想像するだけでも恐ろしいです。

もしわたしに小学生の娘がいて、自分のために 初めて料理をしてくれたならとてもうれしいですし、もちろん褒めます。一緒にお菓子を作ったりもしたいです。しかし残念ながら母親は違いました。
褒めてもらいたくて駆け寄ったのに冷たい態度ではねのけられ、呆気に取られて床に座り込んだままの自分がまだ心のあちらこちらに隠れています。ですからわたしはこれからも、彼女たちを一人ひとり見つけては対話していくという行動を続ける必要があります。

もしあのときの自分が目の前にいたら「あなたは料理が下手なんかじゃないよ。練習すればなんでも作れるようになるよ」と伝えたいです。今度因縁の「人参とピーマンの炒め物」を数十年ぶりに作り、おいしいおいしいと絶賛しながら食べようとおもいます。それで小4の鵺ちゃんはよろこんでくれるかな。

余談

料理を始めた頃はおかずだけを作り、母親が炊いたごはんを食べていました。しかししょっちゅう小石(※後述)が入っていることがものすごく嫌だったので、自分のごはんはフライパンで炊くようになりました。これもある意味母親のおかげです。
こちらも取り組む前は「自分でごはんを炊くなんて無理!できるわけない!」となぜか拒絶反応があったのですが、いざやってみるとわけなくできました。これもまた母親の領域に足を踏み入れてはならないという呪縛があったのかもしれません。

※小石について
農家の親戚がくれる30kgの米袋にはよく小石が混じっていました。お米を研ぐ前にちょっと確認して異物を取り除けばいいだけの話なのですが、母親にそうした考えはないようでした。

炊きあがったごはんの中に埋もれた小石は、当然お米にしっかりとくっついて取れにくくなっています。職場でお弁当を食べている時に小石をおもいきり噛んで「う゛っ…!!」と口を押さえて化粧室に急いだことは、いまでも嫌な記憶として残っています。歯が欠けたかとおもいました。

蛇足

わたしがどれほど料理ができなかったかを物語る(?)印象的な出来事があります。まだ料理を始める前の20代のことです。キャンプ場の洗い場で大きな鍋を洗っていると、近くにいた男性に「なんだその洗い方は!」と突然怒られたのです。

彼はわたしから鍋を取り上げ「どういう洗い方してるんだ!洗ったことないのか!こうやって洗うんだ!」と憤りつつ自ら洗って見せました。わたしは呆然と立ちつくすしかありませんでした。

確かに食器を洗うなんて当時はほとんどやらなかったことですから相当ぎこちない動きだったのかもしれません。それにしても驚きました。わたしの洗い方は、見ていられないほどひどかったのでしょうか。もしかすると「女のくせに洗い物ひとつできないやつ」に対する彼の個人的な怒りだったのかもしれませんが…。

さて、思ったよりも長い記事になってしまいました。最後までお読みくださってありがとうございました。ここに綴ることによってまたひとつ、自分の中をさまよい続けた無念を成仏させたいとおもいます。