じぶんの中のじぶんと対話できた気がした
いつのまにか4月を迎えて
世の中の『新たな始まり』ムードに少し気圧されて
何も始まらないままなのかも、と部屋の中から窓の外を眺めるだけの日々が続いていましたが、ひさしぶりにお風呂に浸かって(のぼせやすいので基本シャワーで済ませます)いたら、頭の中のもやもやぐるぐるがびっくりするほどするするとほどけて一本の糸になっていく感覚をおぼえたので、その糸を紡いでみようと思います。
「風呂は命の洗濯よ!」とミサトさんが言ってましたが、本当にそうですね。※エヴァ
やりたいことに繋がる原点
きっかけは、仲良しの友達の不登校でした。
実際は名前呼びですが、ここではりんたんと呼びます。なんかかわいい響き!
りんたんとは、小学3年生くらいから同じクラスになって、習い事やクラスでの係や、遠足の班行動などとにかくいつも一緒でした。
中学生になって、クラスが別々になって、それまでより関わる時間が減ってきたなと思っていた頃、りんたんが不登校になっていたと知りました。
りんたんは、お人形さんみたいにくりくりのおめめで笑顔が可愛くて、同級生だけど私にとっては妹のような存在でした。
そんなりんたんが学校に来られなくなったと知ったとき、まさかりんたんが!?と思ったのは覚えています。
そして何より、気づきませんでした。
気づいてあげることができませんでした。
本当に、あるとき突然、会えなくなってしまうんだなと思うと当時に、私はどうしたらいいんだろうとぼんやり思いました。思うだけ、でした。
学校に来させようというわけではなく、ただ私はりんたんとお話がしたくて、顔が見たくて、学校から家に帰り私服に着替えるとすぐ、りんたんの家に行ってたわいもない話をして、お菓子を食べて過ごしました。
目の前にいたのは、いつものりんたんでした。
小学生の頃から、人よりも何倍も何百倍も頑張り屋さんなりんたんは、なんとか自分で踏ん張って、いろんな方法を自分で探りながら、3年生になってみんなで一緒に修学旅行に行けるまでになりました。
そこに至るまでにはきっと、不安な日々を過ごしていたと思います。
あの頃はお互いに携帯を持っていなかったので、メールや電話が気軽に出来ればと、本当にもどかしかったです。
あの頃の私にできたことといえば、家に行って一緒にお菓子を食べて過ごすことだけ。
私は密かに、心の奥深くで、
りんたんの葛藤に私が気づいてあげたかった
りんたんのSOSを見逃してしまった
と、友達である自分を責めていました。
私の同級生やまわりの人たちが、この頃のりんたんのような 声にならない「助けて」を心のなかに持っていたら、気づくことができる人になりたいと強く思いました。
話してくれるのを待つのではなく、関わっていくなかで気づくことのできる人になりたい
これが、私の原点です。
心理学・臨床心理士を知る
高校生になって、出前授業という大学の講義を体験する機会があり、そこで私は『心理学』を知りました。
心理学とは、という基礎の基礎を学んだのですが、知れば知るほど私がやりたいことに繋がっていて、「心理学を学びたい!」と強く思いました。
心理学を活かせる職業に就くには臨床心理士の資格が必要であることも知り、ここで私の将来像がかたちになったと思います。
心理学を学べる大学に絞り、なんとか進学することができたのですが、そこで臨床心理士になるには院進学が絶対条件(今は変わったそうですが)であると分かり、まわりが就活をするなかでひとり院進学を目指して自分なりに頑張っていましたが、本当に高い高い壁で…挫折しました。
未来ある子どもたちの味方でいたい
卒業後は、学童保育の指導員として就職しました。指導員のなかでいちばん子どもたちと歳が近いということもあり、先生というよりも友達のような存在の 子どもたちの方から声をかけてもらえるような指導員を目指して、ひとりずつ積極的に関わり合いました。
そうやって子どもたちと関わる日々を過ごしていくなかで、
臨床心理士の資格を取ってスクールカウンセラーになって 子どもたちのSOSを掬い取る専門家として、扉を叩いて会いにきてくれる目の前のひとりを救うことも良いけれど、私はやっぱり仕事としてではなく、日常のなかでほんの少しの変化に気づいてあげられる人で在りたいなと強く思いました。
子どもたちが大人の顔色を伺って、自分のやりたいことを我慢する場面も見てきました。
もちろん、素直に正直に自分のやりたいことを言葉にすることができる子もいます。
これは性格なのか、それまでの何かしらの背景があるのか、未就学児の心の動きにも興味があり、学童保育の指導員から転職して、保育園で補助員として就職しました。
保育園で働き始めて、まず観察力がとても高いことに驚きました。そりゃそうか、お手本は大人か…!とハッとさせられました。
幼いとはいえ、ひとりの人間です。
子どもの目線に立って、とはよく言いますが、実際に子どもたちの目線に合わせてしゃがんで世界をみてみると、大人の足元しかみえません。きょろきょろ見渡して、視界から学ぶんだなと実感しました。
おままごとの様子をみていても、そう思います。お買い物ごっこはしっかりキャッシュレス対応していました。(ペイペイ!)
よくあるおもちゃの取り合いっこのときは、仲裁にすぐ入るのではなく少しの間様子を見守ることにしていました。(どうしても危ないときは止めに入りますが)
無理矢理にでも取ろうとする子
一緒に使おうと提案する子
その様子をじーっと見ている子
けんかしてる!と大人に助けを求める子
様々な立場の子がいます。
誰かが悪いとかではなく、どうしようかな?どうしたらいいかな?一緒に考えよう〜と声かけをしてみると、自然と子どもたち同士で話し合いが始まりました。
こんなに小さい子たちでも、お互いを思いあうことができるんだ…!と感動しました。もちろん、我慢して妥協した子もいるので、ひとりひとりにフォローは欠かしませんが、子どもたちだけでたどり着いた結果があることは本当にすごいと思います。
学童保育と保育園で働き、沢山の子どもたちと関わり合いましたが、どの子も本当に愛おしくて大切で、この子たちが健やかに穏やかに、明日を生きていけるようにと願うばかりです。
0歳、3歳、6歳、10歳……
どの年齢でも変わりません。
子どもたちひとりひとりを全肯定してあげたいです。
そのまんまのあなたでいいんだよ、と伝えていきたいです。
大人の顔色を伺って笑顔をつくったり、大人の意見で選択肢を減らしたりすることのないように
何かの分かれ道に立ったときは、こちらが誘導するのではなく、子ども自身が道を自己選択できるように
そして、その道を選んだことを誇れるように"明日"を灯し続けていたい
これが、私のやりたいこと。
私が存在する理由。そう思います。
私にはずっと、資格がありませんでした。
臨床心理士の資格は諦め、保育園で補助員として働きながら保育士試験に何度も何度も挑戦しましたがあと一歩のところでいつも落ちてしまい、諦めました。
私が専門家として子どもたちと関わる仕事に就くことはもうないかな、と思っていました。
でも、今まで関わってきた子どもたちとの日々はかけがえのない学びの日々だったのに、資格がないから他人には伝わらない…悔しい、どうしても証明したい!と思い、沢山調べてこれだ!とビビッときたチャイルドコーチングを通信教材で学び、チャイルドコーチングアドバイザーの資格を取得しました!
嬉しかったので、たぁっくさんキラキラさせちゃいます〜✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨キラキラ~
教材に書かれている内容どれもが、これまでの私の子どもたちとの関わり方が間違ってはいなかったと証明してくれていて、とても自信になりました!
そのまんまでいいんだよ、と伝えていく立場で在りたいと思っていますが、チャイルドコーチングの資格証を受け取って、私自身もそう言ってもらえたような気がします◎
うつ病になってからの毎日は、何者でもない・何にもないと思って過ごしてきたけれど、いつかの私が私を認めてくれたので、私は明日を灯して生きていけます🕯️
長文〜〜〜!
ここまで読んでくださったあなたが、明日を灯して生きていけますように!