「本物」を見に行く理由
おはようございます。谷大輔です。
新潟で、カレー屋さんで働いてたり、シェアハウスの管理人してたり、絵を描いたりしています。
自分のnoteでは、何かを教えるとかそういうのではなく、これやってみた!そしたらこんなこと見つけた!というのを共有するために書いてます。
さて、昨日、突如1日予定が空いたので、那須高原にある「藤城清治美術館」に弾丸で車を走らせたのですが、なぜ片道3, 4時間もかかるところにわざわざ行くのかを改めて考えたので、それを書いていこうと思います。
藤城清治美術館とは
まずはご存知ない方のためにも藤城清治とはみたいな話からしたいと思います。
藤城さんは御年100歳になる、現役の影絵作家です。
今なお、バリバリ仕事をこなしてるスーパーマンみたいな人です。
影絵に関しては、手で動物の影を作って壁に投影したり、やり方は色々あるそうですが、藤城さんの影絵は、トレーシングペーパーやフィルムなどを使い、切り抜き、後ろから光を当てて魅せる技法です。
館内撮影禁止なのでホームページから画像を持ってきましたが、こんな感じです。
ちょっと見づらいかもしれませんが。
カルピスのパッケージデザインをしていたり、暮しの手帖という総合生活雑誌の表紙デザインしてたり、音楽の教科書の表紙にも載ってたりとか、みなさんも多分どっかで遭遇してるかもしれません。
なんだか、初恋の女の子が新潟の子だとかで、寺泊の風景には初恋の子が描かれていたり、おしゃれな方ですね。
もちろん、実績はまだまだ、作家略歴を読むのが嫌になる程ありますが、とにかく、影絵のスペシャリストであるということをお伝えしたかったです。
ここからが本題ですが、スペシャリスト、
今回は「本物」と呼ばせてもらいますが、この本物を僕は定期的に見に行きたくなるんですよね。
もちろん、色んな知見を得るためはありますが、それ以上の何かが自分の中には存在するなと思ったので、その気持ちを書き連ねています。
本物が見たくなるわけ
結論から言うと、安心感です。
自分は本物を見に行って、安心感を得ようとしている気がしてます。
自分は絵を描いていますが、今までアトリエに通ったことも、美術の先生に教えてもらったこともないので、基礎的なところは独学で学んでいる状態です。
そんな時に付き纏ってくるのは不安感。
これでいいのか?という不安感です。
どうしても、完成品だけ見える世界では自分はそれを過大評価する癖があって、
なんかイメージは「完璧である」みたいな。
抽象度高い表現で申し訳ないのですが、
多分わかりやすいのは、アイドルはウンコしないみたいなそんな感じです。
そうすると、自分はウンコしてていいのかみたいな感じになってくる。
今回で言うと藤城さんの版画はよく見ていたのですが、言ってしまえばそれは印刷物なので、不要な部分は映し出さないわけです。
でも、原画を見に行くと、そこには切り損じがあったり、下書きが残ってたり、まんま下絵が飾られてたり、
不要なものが取り除かれた完璧なものには存在しない、本物の傷跡みたいなのがあるわけです。
それがものすごく安心する。
安心というとおこがましい感じもありますが、でも本当にそう。
あ、アイドルも人間なんだ。的な。
どうしても答えを求める性格の自分は、たまにこういう本物を見に行かないと、自分はウンコしちゃいけないとか思い始めるので、良くない方向に進みがちなんですよね。
もちろん、本物というのは一流の表だけではなく、その裏がちゃんと見えるところ。
いわゆる、欠点とかそういうものなのかもしれませんが、そこには人間味があって、自分には安心感を与えてくれるものになるわけです。
まあ当然、安心だけしてちゃダメですけどね。
自分も誰かを安心させられるような人間になりたいですね。
ではまた!
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