この1年間で求めていたものⅱ
お疲れ様です、谷大輔です。
50円作家という名前で絵を描いたり、個展をやらせてもらっていたりするアーティストです。
早速本題です。
昨日と同じテーマで今日も書いていきますが、昨日は「作品のテーマ」について書きました。
どんな想いを込めた作品を作るか。
今日は、その内容。
何で表現するかについて、取り入れた要素なども分解しながら書いていきます。
まず簡単におさらいすると、作品のテーマは「嘆き」でした。
行き場のない怒りのような、反発心のようなものを「嘆き」という形でぶつけることが今回の作品に込めた想いです。
では、自分はそのテーマを何で表現するかということを考えたとき、まず、インスタレーションアートという形を取り入れたかったのが最初の入りです。
元々空間を使ったものが好きなのもあり、自分でも作りたい!今回ならできそう!と思っていました。
そんな話を妃奈乃さんにしたら、吊るすのとか面白そうという案を出してくれて、それに決まりました。
では、次に何を吊るすか。
自分は、モチーフを「涙」に統一し、悲しみよりも行き場のない抑え込んだ怒りのようなものを出そうと決めました。
それを表現するのに、現在の自分の状況を考えると「レジン」がピッタリだろうと思い、それに決めました。
一口にレジンと言っても、UVやLEDで固めるタイプのレジンではなく、エポキシレジン、または2液性レジンという2液を混ぜた時に起こる化学反応で硬化するタイプのものを選びました。
こちらの方が透明度が高く、大量生産できるためです。
ここまでで、吊るすものまで決まりましたが、これらを決める前、自分はある課題にぶつかっていました。
「自分はどうやってご飯を食べていくんだろうか」
つまり、アートというものを扱って、自己の課題は解決しつつあるのかもしれないけど、お金を稼ぐには至っていないけど、それはどうなって解決しようかという課題でした。
最近たまに書く、現実的な課題です。
シンプルな答えとしては、「絵を売れ」「入場料を取れ」という話だと思うのですが、そもそもそれらをなぜ自分が取っていいのかが曖昧なままで、中々それに踏み出せずにいました。
正確には、少し前から絵は値段をつけたりしていたので、その値段に納得できていないが正解だったと思います。
自分の作品でお金を取れる理由はなんなのか。
自分の思いが乗っていて、その思いは谷大輔のものであるよねという希少性に対するものか。
谷大輔の応援に対するものか。
どちらも違くはないと思いますが、最初に手を出すには危ない領域だろうと思い、もう少し考えたとき「普遍性」という言葉にたどり着きます。
確か、少し前に「アートとは普遍的なものである」てきな話を書きました。
まさにそれで、料金を高くしたりするには希少性なども必要ですが、まず値段がついていないものに値段をつけるには普遍性が必要なのではと考えます。
しかし、これは至って普通なことで、飲食とかは特に、みんな「食べる」という行為自体普通なことだし、もはや必須なことだからそれにお金が発生するのは必然とも言えますが、アートという領域は生活必需ではないので、ここにお金が発生するには生活動線以外の何かしらの普遍的な価値が必要だなと思いました。
そこで自分の中でたどり着いたものが3つあって、それは「社会的背景」「歴史的背景」「技術革新」でした。
まず、「社会的背景」ですが、これは割とわかりやすいかなと思います。
今であれば、多様性とか言われるものだったり、SDGsのような持続可能な社会だったり、平和ボケ、政治についてみたいなものです。
今現在、日本および海外で起きているムーブメントを作品に反映させるものです。
次に、「歴史的背景」と「技術革新」。
これは敢えて分けるより、一緒に語った方がいいかなと思うのですが、まず、アートはその時代が反映されているものです。
それは先ほどの社会情勢のようなものかもしれないし、技術革新的なものかもしれない。
例えば、印象派という時代には「チューブ絵の具」という今では見慣れすぎてる絵の具が開発されたことによって、人々は外で絵を描けるようになり「光」や「空間」を描けるようになります。
今のような色鮮やかな絵はこの技術革新が必須だったわけです。
そんな技術革新を取り入れることも自分の作品の存在意義を示す大きな要素になると考えました。
話を戻すと、今はどのような形で想いを表現するかでした。
「嘆き」というものを何で表現するか。
さらに、そこに作品の存在意義もどのように示すか。
それらを考えたとき、「立体物」と「AI」にたどり着きます。
まず、今回の作品には先ほど書いた通り、エポキシレジンを使っています。
このエポキシレジン自体は1940年頃からすでに工業的に使われているものです。
そして、その時代には抽象表現主義という、いわゆる「絵の具撒き散らしただけじゃん」と言えるような絵画が発達した時代でもあります。
大きなキャンバスにドロッピングやカラーフィールドペインティングなどの技法を使って描かれる作品は、あくまでもキャンバスを平面に扱うのですが、自分はそれを立体的に行おうと考えました。
なぜ立体かというと、空間を作りたいのに加え、今の時代だからできる技であるからです。
今現代の様々な技術(製品)を使って、現代版抽象表現主義を自分なりにしてみたかったからです。
そして、AI。
これは先に書いた「技術革新」の一端です。
今回来ていただいた方は分かると思いますが、なんか青白い映像が3パターンくらい流れていたと思います。
写真でも分かるでしょうか。
これは、AIのみで作った映像です。
動画内容的にはたいしたことないのですが、これを作れと言われたらどうすればいいかあまり分からないのではないかと思います。
動画編集できる人が、作れるかどうかは分からないし、そもそも実写ではないから誰に頼めばいいのか。
それを、今の時代は素人がイメージを言語化さえできれば映像が作れるように"なってしまっている"わけです。
そんな、技術も表現の中に取り込んでみました。
長々と書いてしまいましたが、自分の作品をこの時代はもちろん、もっと先の時代まで存続させるには何が必要かというところから、
「作者の想い」「歴史的根拠」「社会的根拠」を詰め込んでみた。
というのが、今回の作品です。
本当は、レジンが全てアクセサリーになってるとか、廃材も利用しているとかも詰め込んで、生み出す者の課題である「持続可能性」も表現したかったのですが、流石に間に合いませんでした。
それは次の挑戦です。
さて、昨日今日と長々作品についての説明をさせてもらいました。
この背景の部分を知ってもらうのも嬉しいのですが、今回の作品で1番嬉しかったのは実はそれではありません。
それについては、次回書きましょう。
ではまた!
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