「死は救済」と言う言葉に対し、果たしてそれが本当なのだろうかと思う時が、シャワーを入っている時に過去の嫌な思い出をフラッシュバックする様に頭の中をよぎるのであります。
そこで今回は死は救済かどうかについて、死について思考を綴りたいと思う次第であります。
前もって言っておきますが別に情緒が病んでるとかそう言うわけではありません
僕が思うに、死が救済だとは到底思えない訳なんです。
自分が死ぬ、それは僕が生きてる限り遺し得ない訳で、体験談の様な話は出来ない訳ではありますが。
一つの概念としての「死」これは僕の中では救いでも何でもないと思う訳です
というのも亡くなった故人がどうなるかは置いておいて、死というものを目の当たりにした時に起こる弊害、出来事全てにおいて僕が見た限りでは誰一人として幸せであったことはない。
幼少期の頃から家族の死、葬式を見て育った身としては、幸せという物とは程遠い環境で育って来た。
誰かの死を中心に、遺された遺族、友人、近しい人間、それら全ての人に死別という不幸を齎す
言わば人生に於ける最高にして最低の不幸
僕はこう考える訳であります。
正直その環境に慣れた人間が、人が言う幸福に心地よさを覚えられる訳がない。
我慢に慣れた人間は、人からなにか与えられた時、幸福では無く罪悪感を最初に覚える
我慢するのが当たり前、耐えるのが当たり前
根底から人としての認識が違う、それが当たり前だったのだから
もちろんそんな家庭環境で育てば社会的にも浮くのは必至
いじめや嫌がらせ、嘲笑を受ける
それでも人としても最高の不幸に慣れた以上は、そんな苦痛に自殺に追いやられる程心は打ちひしがれない
耐性
人間慣れというものがあり、それはあまりにも凄まじく効果を発揮する
どんなことがあっても生きてさえいれば痛みを伴っても次第に何も感じなくなる
どれだけ最愛であった人を亡くしても、時間が経てば残酷な程脳は忘れてしまう
最近はもう昔の記憶が本当に有ったのかどうかも疑問に思う程に脳は過去の傷を治癒してしまう
過去のこの痛みを消す代わりに
失わなければいけない思い出があるのだなと思う訳であります。
ですがいずれその記憶が死んでいくことに対する嘆きも永遠では無い
僕自身も周りにいる人間も例外なく死ぬ
どれだけ人生が辛くとも、寂しさを覚えようと虚しくとも
最後にはその苦しみ全てに終わりが必ず訪れる
人間永遠には生きられない
必ず最後に死が訪れ、生きる上の苦しみが終わる時が来る
それはどれだけ人生が辛くとも幸せであろうと
例外無く訪れる事であります
「死」自体は救済では無いけれども、人間は永遠には生きられない
必ず死ぬというこの仕組み、すなわち生きる上での苦しみには終わりがあるということに対しては
ある意味「救済」と呼べる物なのでは無いかと僕は思う訳であります
そう思うからこそ僕が人に言いたいのが
「自ら命を絶つという事は辞めろ」という訳であります
確かに人生生きていれば辛い事なんて腐る程、飽きるほど、かと言って忘れもせず毎日やってくる
それでもそう言った中で嬉しい事、幸せだと思える瞬間は決して0では無いと思うのです
人生に1:9の喜びと苦痛があったとして
僕の考えですが1:9の幸苦の人生で最後には必ず終わりが来る
生きている中でもその1:9を2:8、3:7と変えることはできる訳で、今までの23年の命、あと何年生きれるか分かりませんが世間的には見ればまだまだ若い
これから幾らでも取り返せる
23年間これだけ苦しんだのだから、その23年間分の耐性は付いた
そう自分を認めて自信に繋げていけばたとえ0:10でも帰れる筈だと思うんですよ
生きている限りは皆必ず幸せに生きられる様に出来ているんだと思います
僕自身も死にたいと思った時は腐る程ありました
遺された人の気持ちが痛い程分かるので死ななかった、死ぬ度胸がなかったのもありますが
だから今自分が生きててよかったなと心から思える環境に出会えた
だから生きていれば必ず何か、生きていてよかったなと思える時が来るんだと思うのです、決して諦めないでほしい
僕も諦めません、負けません
話は変わりますが、僕が今希望を見出せたきっかけというのはヘヴィメタルとの出会いなんですが
やはりメタルは作る人間の人生の闇が深ければ深い程音に乗って深く、重く突き刺さってくるのを感じれるので
世界で1番素晴らしい音楽だと思います
聞かねえ奴は死ね
僕の中ではやっぱりKorn,Slipknotの闇が1番心に響きます、サウンドの好みも有りますがJonathanもCoreyもどちらも生い立ちが重い
僕がCoreyやJonathanに救われた様に、僕も誰かを救える様なヴォーカリストになりたい
その為なら今後どんな事があっても戦えると思います、どうせ死ぬんだし
成功しなくとも自分が死ぬ瞬間
「ああ、若いうちにこれだけ命を燃やして何かに打ち込めた、それだけで満足だ」
と笑って死ねる様な人生を送りたい
今は1秒単位で死にむかって進んでいる
最後に行き着く場所は分かりきっている
ならば自分が行きたい様に生きれば、人に何と言われようが自分の人生にとっては素晴らしい物であったと、晴れ晴れと死ねる
それこそが素晴らしい生き方であると僕は思います。
ですから死にたいと思うのであれば、自分の好きに忠実に、そして正直に生きてみてください
僕なんかは本当自分の好きに忠実なファッションとかしてるのでそれだけでも幸せです
あとは幸福になるのは「権利」なんて思っちゃダメです
「義務」です
人は幸せにならないと人を傷付けます、人に迷惑をかけます
嘘でもいいから「自分は幸せ」
言い聞かせるでも良い、無理矢理でも笑ってみると必ず変わります
この分がどれだけの人の助けになるかはわかりませんが、出来ることはこれくらいしかありません
この文章で誰かの人生が良くなることを祈っております
どうも有難う御座います。