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小さな推しがたくさんある日々
先日、近所に日本酒の品揃えがいい酒屋があるという情報を得た。
そういえば前に会津で飲んだ寫楽が美味しかったなと断片的に記憶していて、ああまた飲みたい、と思って酒屋のホームページを調べると置いていた。
ただホームページではソールドアウトだった。
お店に行ってみるとやっぱりなかったので、落胆しつつも店員さんに念のため聞いてみるとどうやら昨日、一升瓶が入荷したとのことで、奥から持ってきた。
「ありますよ!」の一言でそれはもう、胸が高鳴ったし、とってもときめいた。
一升瓶を持って15分かけて家まで歩いて帰るのは正直腕がしんどかったが、嬉しい重みでニヤニヤしながら帰った。
突然だが、私は自他ともに認めるミーハーである。
好きなバンドがいたとして、例えば友達に紹介すると気づけば友達の方がはまっていて、久しぶりに会って話すと私が知らないライブの情報を持っていてびっくりしたりする。
そして焦りつつも「好きになったのは私が先だしな…!」と勝手に心の中でファン歴を比べるなど見当違いなところで戦ったりする。ちょっと心が狭いし、カッコ悪い。
じゃあ自分も知識をつければよくない?と自分でも思うのだが、一つのことに熱中する間もなく、面白いものはどんどん現れるし、好きはどんどん増えていく。
そして、わりと最近までミーハーはあまり良くないことで、好きに対して深く詳しく語れる人こそなんだかすごくて、立派なんだろうなあと思っていた。
ただ、先日の寫楽騒動を経て、もしかしたらミーハーでもいいのかも?と思い始めた。
正直私は寫楽がいかにすごい飲み物で、どんな土地でどんな手法で作られていて、他の日本酒と比べてどう違って美味いとかはわからない。
でも美味い。なんとなく名前が好き。そして、思わぬところで出会えて嬉しかった。
これはひょっとしてミーハーだからこそなせる技なのでは…?と思った。
ミーハーは、小さな推しがたくさんある、と言い換えれるのではなかろうか。
そして、推しがそれなりに多いと必然的にいろんな場所で自分の好きなものに出会う確率があげられる。出会うと嬉しい気持ちになる。
日本酒に限らず、なんとなく好きな焼酎もお店で見つけるとすごく嬉しかったり、気に入ってる地方の器を街中で見つけたりするとほんのり嬉しくなったりする。
それってわりと幸せなことなんじゃなかろうか、ミーハーだからこそかも、ミーハーもちょっとよいかも、と最近気持ちを立て直し始めた。