痛みや苦しみを伴うけれど/痛みや苦しみを伴うからこそ
「心をみる」と言ったり、「私のままに私とつながる」と表現したり、「自己受容」ともあらわしますが、これは「自分が感じていることにそのまま気付き、そのまま受け入れる」ということです
はいはい、自分の感情をそのまま受け入れるってことですよね
二次感情(怒り)ではなく、一次感情(不安、怖さ、悲しみなど)をしっかりみるってことですよね
ジャッジしないってことですよね
数年前に学び始めた頃はこんな風に頭の理解で「できるできる」「できてるできてる」って思っていたのですが、本当に奥が深いものなんだなぁと感じています
簡単に「できる」「できてる」なんて言えない私がいます
あ、誤解しないでくださいね
難しいことではなくて、誰にでもできることなんです
だから「できていない」と一言でも片付けられないのです
ちゃんとそのとき受容できることを受容している、と思わされます
「心をみる」「感情をみる」って時に痛みや苦しみを伴います
痛みや苦しみはできるだけ感じたくないですよね
だから、巧みに巧みに、うまいことズラしてズラして、見なくていいようにしてきます
私も思い当たることが多すぎるほどです
それもこれも、全部、自分を守るため、と知ってからは捉え方が変わってきましたが、「そのときの最善が起こっているって本当なんだなぁ」と実感させられています
ちゃんと「今なら見られる」というタイミングで何か出来事が起こったり、サポートを受けられたりしてると感じています
私にとってしんどいなぁと感じることがあり、そのことをセッションで扱ってみた時に、やっと触れられたということがありました
「優秀でないとこの場にいてはいけない」
「誰かに勝っていないとここにいてはいけない」
「結果を出さないとここにはいられない」
という怖れや不安を持っていた自分にやっと優しいまなざしで触れられたのです
言葉にしてしまうと陳腐なのですが、【やっと】なのです
この思い込みがあることは知っていたし、対処もしてきました
でも、深さがどんどん変わってくると言ったらいいのかな
あぁ、またひとつ、深まった、私に触れられたという実感がありました
これは知識だけだと難しいし、ひとりでやるのも限界があるなぁと身をもって感じています
だって、怖いですから!
触れたら壊れてしまいそうと思っている自分の部分ですからね
ずっとずっと真正面からは触れずに、脇からチョンチョン、後ろからツンツンとしてきたのかもしれません
それをやっと、真正面から見据えられた、という感覚です
私の性分としては、早く、何とかしたいですけど、一筋縄ではいかないし、一足飛びにもいかないのです
手っ取り早く何とかしようとするなら、「目を背ける」になってしまうし、これまでそれを選んできた私もいますからね
「心をみる」って痛いんです
だけど、私がやめずにいるのは、自分に触れたときに、じわっと溶けるような、ふわっと包まれるような、そんな安心感があるからです
それを実感する度に、私が私に戻っていく感じがするのです
「すぐに変化が起こります!」とは言えないけれど、ある時振り返ると
生きづらさが減ってるんですよねぇ
「わたし」を生きられてる感覚が増えているんです
ひとりで見るのが怖い、ひとりで見るのはしんどい、だけど、目を背けるのも違う気がするなら、「わたしに触れる旅」ご一緒しませんか?
どんな道も、どんなルートも、どんなあなたにもご一緒します
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それでは本日も
”自分が一番の味方”な一日を♪
『 私に触れられるのは私だけ
自分とつながったら他者ともつながれる 』