言い訳になってくれてありがとう
昨日書いた「休むこと」に関してもう少し続けてみたいと思います。
私、あの日は午前中に昼寝をして、気付いたら午後も昼寝していました。その上、夜もちゃんと眠くなって、子どもたちと一緒に就寝したんです。
あれ?こんなに眠れる。あれ?こんなに寝たかったの?と、なりました。
多分、体調不良の息子がいなかったら午前も午後も寝なかったと思うんです。どんなに眠かったとしても。
やることをやらなきゃって思うし、みんな働いているんだからって思うし、自分だけがなまけてはいけないって思うところが私にはあるから。
だけどさ、私はこんなに寝たかったのですよ。
息子が学校を休むってイレギュラーでガッカリ案件でもあるのだけど、私が休むことの口実にもなったんですよね。
振り返ってみると、イレギュラーで想定外の出来事って全部、私が休むことの口実に、止まることの言い訳に、なってくれていたのかもしれない。
体力はあるから動き続けられてしまうし、無理だってできてしまいます。
身を削って動き続けることの方が楽なことがあります。
止まって休んで湧き出る罪悪感や無価値感を感じるよりは・・・ね。
もう、ほんとにそう。
罪悪感や無価値感を感じたくないから動き続ける、と言っても過言ではないですもの。
もちろん、ポジティブな動機もあります。だけど、ネガティブな要素もあったなぁと、今なら分かります。やっと認められた、とも言えます。
そうしたら、現実の捉え方にも変化が起こってくるのです。
子どもの体調不良など、イレギュラーな出来事に対して
「なんでよ、体調崩さないでよ」「もう、〇〇のせいで!」という思考一辺倒から
「この出来事は私にとっては、どんな意味があるんだろう?」と思えることも増えたのです。
(もちろん、できるときと できないときがあります)
「罪悪感や無価値感を自分で抱える」というのは私のテーマのひとつなのだと思います。
「私の言い訳になってくれて ありがとう」
あぁ、この言葉が出てくることに自分の成長も感じます。
あなたはどうでしょうか?
あなたの言い訳になってくれている人や出来事はありますか?
なるなら、そこにどんな想いや解釈を向けましょうか。
それでは本日も
”自分が一番の味方”な一日を♪
『 どんな出来事も 私を佳き方へ向かわせる
と、信じていい 』