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その嘘は誰が為に吐くものか?
あ、しまった、嘘ついてたのばれちゃった。そう思った時には後の祭りだった。絶対に嘘は突き通すと決めているのに、ちょっと浮かれてしまったな。
本音まみれのその投稿は、消さずにまだFacebookに残り続けている。
* * *
先日、私の書いたエッセイが年間で読まれた賞に選ばれた。(是非にリンクからお読みください)さすがに嬉しくてたまらなかった。バクバクと高鳴る心臓は、1日治まってくれなかった。こんなこと、30年生きてて初めてだった。
もっといろんな人に読んでもらいたい、と私はFacebookでこの記事をシェアした。いいねがたくさんついた。コメントもついた。誇らしい気持ちになった。で、ここでハッとする。
エッセイで、私はセフレとの恋愛を描いている。セフレがいることが知れてもまあ、うん、あー…まあいっか、いや、セフレと言えるのか?という相手だし、ただひたすら愛を語ってるだけのエッセイだし、それはもう別にいいんだけど。「セフレとは終わったよ~」と報告していた友だちが、Facebookでつながってる。
しまった、嘘をついていたことがばれた。
浮かれてた~やらかした~。はいはい、後の祭り。ますます連絡を取りづらくなってしまった。まあ「セフレとは終わった」というあの言葉、100%信じてもらってたかどうかも不明なんだけど。嘘をついていたのは事実なので私が悪い。
ただ、この嘘を伝えていた人の方が少ないことにも気が付いた。つまり、大半の人には堂々と「セフレが好きやねん」と伝えていたこととなる。なんでしょうこの差。考えた結果、この事実を知っている人は「めちゃくちゃ仲がいい人」か「どうでもいい人」に分けられることに気が付いた。
めちゃくちゃ仲がいい人は私の恋心を静観してくれるだろうという信頼から。どうでもいい人は私の恋愛なんかに興味ないだろうという思い込みから。恋バナをぺらぺら話していた。じゃあ逆に話さなかった相手は?そこにあったのは、心配されるだろうという不安だった。セフレとの恋愛なんてやめなよという至極当然な意見をくれる、正しい人。その正しさにのっとって、相手を不安にさせまいと私は取り繕った。
心配してくれている人のために、私は嘘をついた。
だけどきっと、自分のために、私は嘘をついた。
本当に申し訳ないのだけど、あの時に必要だったのは正しさじゃなかった。許容だった。私の方が間違えていることはわかっていたから、嘘をつけば私も相手も守れると思っていた。何より相手との関係も守れると思っていた。それほど大切な相手だった。だから必死に嘘をついた。
ってここまで綺麗ごとな自己弁護ばっかりで非常に残念な内容が続いているんだけども。
バッサリいきます。
嘘をつくなら墓場まで持っていけ、証拠を残すな、いっそのこと嘘を”真実”に変えろ、以上。
あと一番大事なのは、「本気の嘘をつかなくていいところで過ごしてください」って感じなので、これからも軽やかに移ろいでいってください。
というのが自分へのメッセージですね。罪悪感にみしみし襲われるぐらいだったら、嘘をつかないほうがいいもんね。
はいっ、今回は反省して、本日の締めといたしましょう。
嘘ついちゃって、ごめんね。