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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』:喧嘩するところから始めよう。

飛行機の中で時間が有り余っていたため、一番軽そうなやつを、と思って軽い気持ちで見始めたが、無茶苦茶に良い映画だった。マーベルものはあまり好きじゃなくて触れずにいたのですが、昨今の作品はこんなにクオリティが高いんですか?それとも監督:ジェームズ・ガンだからこそ為せる業なのか。何にせよ彼が過去の失言でキャンセルされなくて良かった。劇中の台詞にもあるように「誰にでも二度目のチャンスはあるべきだ」と思う。

Volume1も2も観てませんでした

マーベルシリーズの始祖たるX-MENと言えば、公民権運動の最中に、人種差別の象徴としてスタン・リーが創造したもの、というのが通説だと思うが、当初のミュータントは、やはり他者性の象徴以上のものではなかったように私は思う。そしてそれはその後マーベルユニバースの発展の中で、戦隊モノの色別のキャラクター設定のように、バラエティーに富んでいることそのものが見た目の賑やかしさとなって展開していったのではないかと私は理解している。あくまで私の偏見ですが。

しかし本作では、見た目や性格、言語が異なる者達(しかも彼らの見た目も、一方の側からすると度を越えてアグリーであることが多い)が隣り合っていること、そここそがスタートとなっており、そんな者達がどうすればお互いを尊重して生きていけるかが、何度も繰り返される衝突の中で真摯に探られていく。それに、特定の価値観からするとマイナスな見た目の者たちも、信じるものを抱いて懸命に生きている姿が丁寧に、そしてものすごくやさしく描かれる。特に、劇中に通底するサブストーリーを成す、車椅子のセイウチとロボ手のカワウソとマシン多脚のウサギ、それに天才アライグマの話は涙なしには見られなかった。本当に美しく哀しいエピソードだと思う。

インド行きの飛行機でボロボロ泣きました


劇中に触角のある女性が「彼はなりたくて間抜けになったんじゃない!」と抜けてるメンバーを叱責したメンバーを怒るシーンがあるが、これもとても良い台詞だと思う。その人が有用かどうか、自分の癪に触るかどうかなんて本当に一方的・限定的な決めつけでしかない。誰もが生まれたくてそう生まれたわけではないし、配られたカードでゲームを続けるしかない。我々にできる一番真摯な姿勢とは、隣り合う皆を評価することではなく、お互いに存在していることそのものを尊重し合うことだと思う。
この触角の女性メンバーはほんとにいいキャラで、彼女の能力は手を触れながら心を寄り添わせることで、相手の気持ちの方向性を少しく変えてしまうというもの。何か『ベルリン・天使の詩』みたいですね。

Mantis(カマキリ)という名前の彼女。…カマキリ?


とまぁ真面目なことばかり書いてきましたけど、これらが全部抜群エンターテイメントのフォーマットに載って、しつこいくらいに笑いを交えながら展開していくんですよ!天才アライグマの声がブラッドリー・クーパーっていうのは、まぁ最近もライアン・レイノルズが『名探偵ピカチュウ』で同じようなことやってるし分かるが、「I am Groot」と自分の名前しか言えないCGのキャラクターをヴィン・ディーゼルが演ってるっていうのはさすがに意味が分からない!しかしそれぞれのメンバーがそれぞれほんとに馬鹿らしくて、不器用だけど良い人達でキャラも立っていて、このあたりのバランスが抜群に良かったと思う。

あとはここぞ!というシーンでは音楽好きの主人公がポータブル音楽プレーヤーで曲を流して、それがそのまま映画のBGMになるシーンが何度かあるのだが、このあたりの曲のチョイスも抜群に良かった。Radioheadの”Creep”とか、Beastie Boysの”No Sleep Till Brooklyn”みたいな、何というか遠からず近すぎずの絶妙な選曲で、観ていてものすごく気持ちが入りました。

これよく見たらMicrosoftのZUNEだったんか!


真面目な事柄や大切な部分を蔑ろにすることなく、しかしとびきりふざけたエンターテイメントに落とし込んだ、本当に素晴らしい娯楽作品だと思います。食わず嫌いしていてすみませんでした。

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