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『降霊』:日本のお化けは慎ましい

1999年にTV用に制作された、日本ホラー映画界の巨匠 黒沢清の長編作品。現在は各種サブスクでも見ることができず、ソフトも廃盤で中古市場でも高値がついている。本作は彼の作品群の中でも、前後して制作されている『回路』(2000)や『アカルイミライ』(2003)に比べるとやや地味な作品であり、今回観てみても確かにストーリー展開がやや精彩を欠き、こじんまりと纏まってしまっていたように思うが、私が本作を観たいと思った最大の理由は、ネットで度々目にしていた「霊が実際に見える人に聞くと、黒沢清の『降霊』が一番リアルらしい」という意見である。果たしてどうだったか?

本作の主人公はテレビ番組の効果音を担当している音響技術者の男(役所広司)と、専業主婦の彼の妻(風吹ジュン)。この妻はなかなか鋭い霊感があるようで、大学で半分オカルトめいた心理学を研究している学者(岸辺一徳・草彅剛)に研究協力していたり、何かのツテでそういう相談に来た人(石田ひかり)に対して、既に鬼籍に入った人を「降ろす」ことで対応したりもしている。とは言っても御船千鶴子みたいにバリバリな感じではなくて、専業主婦が口コミでそういうこともしてる、みたいな感じ。
一方近隣では時を同じくして少女誘拐事件が起こり、犯人は身代金受け渡しの途中で事故に遭い意識不明の重体となり、少女の行方は分からないままとなってしまう。本来交わることのなかったこの二つの線がひょんなところから交わり、事態は思わぬ方向へ転がっていく…といったストーリー。

全編に渡って漂う薄暗く不穏な空気はさすが黒沢清といった感じだが、ストーリーにやや無理がある点も多く、やはり名作『CURE』や『回路』には及ばないか。主人公夫婦も序盤は平凡で慎ましく生きる善良な感じだったのに、中盤の一番大事なところで「え、そんな人だったん?」な行動を取ることで、その後の展開についても、見る方も「まぁ自業自得だよね」という感じになってしまう。
では肝心の、ネットでも話題の霊の描写はどうだったか?これは確かに素晴らしかった。というか、私はそういうものを実際に見たことはないのでそれが「リアル」なのかどうかは判断しかねるが、そんな私でも「さもありなん」と思ってしまうような、独特の質感を持った表現のされ方だった。

人も沢山いて賑やかなファミレスの店内で、普通のサラリーマンの横に座っている赤いワンピースの女。それがなんとも彩度に乏しく、存在はしているのだろうけど何かレイヤーが違うものがそこに張り付けられているような感じ。よく目を凝らそうにも、顔のところはぼやけてしまってよく見えない。自分の目が悪いのだろうか?

或いは洗濯物を干していると、家の中からこちらを見ている人影。今家には誰もいないはずなのに。小さい女の子であろうことも分かるし、どんな服を着ているのかも分かるのに、あのペタッと張り付いているような異質な質感から、生きている人間でないことだけは分かる。

また時には、昼間の日差しが眩しい公園で、木陰からこちらをじっと見る人影。木陰にしても何やら暗すぎないだろうか?もう少しで細かなディテールが判別できそうな気がして目を凝らしてみるが、あと一歩のところでもやもやとしてしまう。シルエットや動きからも、こちらに目線を合わせて動いているのは分かるのだが。

そういった、現実に存在するものの世界から絶妙にずれたレイヤーに存在しているような質感が独特で、「あぁ、これはこのシーンが見たくてこの映画は見返すだろうな」と思うくらい唯一のものだった。何というか、普通のホラー映画のように死を意識することから来る怖さと言うよりは、現実世界のバグを発見してしまったような薄ら寒さ。これは確かに、この映画以外ではなかなか感じたことのない感覚だったように思う。

またこれは個人的な意見だが、私は初期黒沢清の作品に出てくる家が凄く好きだ。シンプルで調度品もすっきりしていて、でもやはり隅々に程良い人の生活感があって、どこか不穏な家。私が90年代後半から2000年代前半にかけて多感な10代を過ごしたので、その時代の空気感に対する懐かしさもあるとは思うが、黒沢清作品に出てくる家は、何か当時の自分が観ていた幻想の中での理想の家というか、小学生くらいの頃に思い描いてた人生という物語に出てくる家みたいな感じがする。まぁ劇中では大体その後とんでもないことになってしまうのだが。
共感する人がいないかなと一瞬思ったが、普通は理想の家のイメージに不穏さは必要ないか。不穏な感じがまた落ち着くんだけどなぁ。

それと終盤に出てくる祈祷師が哀川翔なのにはちょっと笑った。大きな衣装包みを下げて農道を歩いてくる様子は、どこからどう見ても追い込みをかけられて田舎に逃げてきたヤクザなのだが、ちゃんと祈祷をあげて、ちゃんとまともな助言をして帰っていった。

何にせよ、本当かどうかは分からないが、ほんまもんの人たちも納得させるという映像表現については、門外漢の自分からしても秀逸な、うっすら嫌な気持ちになり、また根源的な違和を感じさせるものだった。現在なかなか観ることが難しいが、機会があれば是非観ておきたい一本だと思う。

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