創作消費者の心得
僕が偉くなったらろくろを回すポーズを取りながら言いたい事に
創作というものは、自分の癖(へき)を如何に綺麗にラッピングするかという試行錯誤だと思うんですよね
というものがある。ほかの誰かが既にやってるかもしれないけど。
例をあげると、谷崎潤一郎とか。モロに自分の癖を綺麗にラッピングした人じゃん。彼の場合は癖っていうか、性癖だけど。「わぁ、綺麗」って封を開けたが最後、訳の分からない所に連れていかれる。
そして気づいたら彼の別の著作も読んでる。こんな作品が後世まで語り継がれるなんて、暴力系ツンデレヒロインは日本人のDNAに刻まれた業だよ。最高だね。
そんな具合に癖を修飾していくのが創作なんだろうなと、個人的には考えている。小説であれば言葉で、音楽であればメロディで。時には直接的に、またある時はメタファーで。自身の癖を理解した上でちょうど良い塩梅のラッピングを施した作品が後世まで残るんだろうなって。
それは別に小説や音楽なんかの芸術の分野に限らず、世の中の物ほとんど全部に当てはまっていて、過剰でなく、かと言って過少でもない、ちょうど良い塩梅の修飾というものが、広く大衆に受け入れられるに耐える為、必要な要素なのでは無かろうか。
過剰であればわざとらしく、過少であれば見窄らしい。
創作のテーマ自体の持つ属性をよく理解し、それを覆い隠さず、シンプルに仕上げる。あくまでテーマが主役で、ラッピング自体が目立ち過ぎてはいけない。その上で個性を出すとなると至難の業だ。
きっと気付かないだけで無数の要素が絡み合ってバランスを取っている。そのラッピングの凄さを正しく読み解くことにさえ知識と経験が必要になる。そんなものが世の中に沢山あって、深く考えられないまま受け入れられて消費されている。
知ったふうに語ったけど、自分自身、創作を上手く読み解けているとは全く思ってないし、この考えが正しいかどうかも分からない。でもまぁ、消費税取る訳じゃないし、あくまで自論なので多少はね??
僕が創作を消費するにあたって頭の片隅に置いていることをひとつ記しておこうかと。