海外かぶれの日本人に対して帰国子女が思うこと
「えっ、君アメリカ出身なんだ!すごいね!いいなあ~。」
私が大学に入って間もないころ、グループワークで仲良くなった人たちに私の出自を打ち明けるとこういう反応が返ってきた。彼らに関わらず、たいていの人は私がアメリカで幼少期から思春期を過ごしたと言うと、軽く驚くかよくわからない羨望の眼差しを向ける人が多かった。
(いいなあ~って言われてもな。むしろ日本で青春時代をすごせたあなたたちのほうが私にっては「いいなあ~」だけどな。)
通っていた大学には留学生も多く、私の専攻は社会学(主に国際関係)であったため、周りには海外志向の強い人が集まっていたせいかもしれない。学校側も学生側も語学には力を入れていたし、海外からは多くの教員が招かれていた。一般的な日本の大学生と比べて学生の英語は堪能だった。
友人たちはしきりにアメリカについて何でも知りたがった。特にアメリカの学校生活、音楽、英語についての質問が多かった。彼らと話すときは話題の半分近くがアメリカや海外に関することだったし、私も最初の頃は特に不満はなかった。むしろ、私がつまらないと思っていたアメリカ時代の話を皆が興味深そうに聞いてくれるので、少しうれしかった。
今思えば一般的に言われている通りで、海外に強い興味を持っているのは女の子が多かった。彼女たちはとても私に対して好意的で、色々なことを楽し気に質問してきたし、すごく私のことを褒めてくれた。私が自身のアメリカ体験を語ったり、アメリカ訛りの英語を少ししゃべったりするだけで、私のことを持ち上げてくれた。
何人かは私に対してある種の「特別な感情」を持つ人もいた。彼女たちはアメリカについて私が話すことは何でも鵜呑みにしたし、何でも称賛した。そのアメリカに対する憧れ、海外に対する憧れが、私に対する憧れにシフトしていったのかもしれない。彼女たちにとって、私はアメリカ人だった。
彼女たちは私の外見や内面を好んでいるのではない。アメリカ育ちの帰国子女である私が好きなのだ。
もし私が帰国子女でなかったのならば、彼らは私をあそこまでちやほやしただろうか。そんなことはなかっただろう。
私の友人たちは海外かぶれだった。彼らの頭の中に存在する理想的な場所、理想的な人、それらが存在する国アメリカで育った私は彼らの好奇心を満たす格好の的だった。
彼らは私という海外育ちにかぶれて、私は彼らの日本人的な誉め言葉にかぶれていたのだ。
彼らのことは嫌いではない。私に好意を向けてきた女の子たちのことも、嫌いではない。ただ、重いのだ。重くすぎて、私には持てない。
私がアメリカについて語るとき、彼らにとってそれは生の声なのだ。
映画やドラマの世界では語られないアメリカ人の本音なのだ。
私には義務がある。真実を話す義務がある。
軽い話で適当なことを言ってはいけない。それは彼らにとって真実だ。
あなたにとっても他人ごとではない。
もし外国人に日本について聞かれた時、適当なことを言ってはならない。
彼らにとって、あなたは「ホンモノの日本人」なのだから。
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