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映画【どうすればよかったか?】感想文
どうすればよかったか?
なるようにしかならなかったのだろう、と思った
20代半ばからの25年間という、人生の中で特に大切な時期を、親によって封印された、という見方もできる
もっと早く病院に行けていたら、と私も少し思った
退院後、会話ができるようになって、カメラにピースもできるようになって、もしこれがもっと早く、20年前にできていたらお姉ちゃんの人生にはどんな可能性があったのだろう、とか
ただ、そんな簡単な話じゃない
家族がこうなっているのを認めたくない気持ち
こうなる以前、ありふれた家族として確かに機能していた頃に心を置いたまま動けない気持ち
これ以上刺激することで、今よりさらに状況が悪くなる事だけは避けたい気持ち
現状では今が一番マシな状態だと信じていたい気持ち
現実から目を逸らしたい気持ち
家族のこの状態を恥じている気持ち
家族のこの状態を知られたくない気持ち
いつか自然と良くなる事をどこか期待している気持ち
今さらどうにもならない自責の気持ち
なのではないかと私には思えた
もしそうなら少しだけわかる
この家族の外にいる人は、もっと早く病院に連れて行けばよかったとか、お父さんをもっと根気強く説得すればよかったとか、無理矢理でもお姉ちゃんを病院にひっぱっていけば良かったとか、いろいろ思いつく
その考えは正しい
きっとそうすればよかったのだろう
でも家族だからできない
当事者だからわからない
たぶん何らかの正常性バイアスがかかっていたのかもしれない
監督である息子さんは、物理的に家族の外に立った事で、客観視ができるようになったのではないかと思った
もう会話不能になっている娘に対し、まるで会話ができているような前提で接し、いつもどおりにご飯を食べ、娘抜きで笑い、お正月のお祝いをする親
正解には見えないけれど、きっと不正解ではない
どうすればいいのか、誰にもわからないから
目の前にある事を、いつも通りの事を、今まで通りにやることでしか保てない何かがある
最後のほう、お父さんとの会話
お父さんは、当時の自分を冷静に見ることができるようになっていた
年月の力なのだろうと思う
それでも、後悔はしていなかった
きっと、なるようにしか、ならなかった
きっと家族の誰もが自責の念を持っているのではと思う
だから、誰も悪くなかった、とは言えない
けど、どうかお父さんと息子さんには穏やかに過ごしてほしい
・
ご自分の家族の事をこうして公開するのはとても勇気のいることだったと思う
監督ありがとうございました