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福島を訪ねる

いつもなにかに邁進している母が、今年に入ってから東北に通っている。昔からの名所旧跡だけでなく、各地の震災遺構を訪ねているらしい。
7月には福島県に行って来て、「あなたも、子どもたちもぜひ」と私に言った。「廃炉はこの先何十年もかかる。孫たちに見せたい」
そこで、この週末、子どもたちと私で福島・双葉郡へ行った。
母は前日から別行動で福島にいて、原発周辺に広がる中間貯蔵施設の見学をしていた。その見学は防護服を着て、放射線量の測定もあり、子どもが参加するのはどうかと考えて私たちは控えた。
土曜日、郡山駅に車で迎えに来てくれた母と、双葉郡方面に向かった。

今回見学したのは3か所。

請戸小学校(震災遺構)
東日本大震災・原子力災害伝承館
東京電力廃炉資料館

伝承館の展示の一部。

原発周辺地域では、この数年で、遺構や資料館が整備されたそう。福島県では、震災と原子力災害について知る旅のことを「ホープツーリズム」として商標登録している。「ダークツーリズム」としてではなく、未来につなげるものとして見てもらいたい、という意図らしい。

約10年の時間がかかったのは、原子力災害のために立ち入りできない期間が長かったことと、廃炉作業の見通し(見通しでしかないが)を立てるのにも時間を要したからなのだと思う。
東京電力の展示施設や見学案内は、さらに最近はじまったということで、処理水の放出と関連があるらしい。廃炉資料館の見学はガイドによる案内のみとなっていて、処理水についての説明がわりと長く、とくにトリチウムの無害性について解説があった。

福島第一原子力発電所が近いエリアになると、道路脇に線量計があり、門を閉ざした民家には「帰還困難区域」の看板が立っている。
それでも場所によっては新しい家が建ち、住んでいる人もいる。

伝承館内の展示。これと同じ看板を、道路沿いのあちこちで見かけた。

ひと気があるようでない町、伝承館の語り部さん(双葉町で被災した方)の話、津波の被害を受けた請戸小学校のあり様(タイトル画像)。
改めて、考え続けなければならないと思った。

自分が原子力発電所の事故のことをよくわかっていないとも思った。4つの原子炉それぞれでどのようなことが起きたのか、改めて理解した。
それから、福島第二原発という施設もあったことを初めて知った。第一からほど近いところにあるそちらは、外部からの電源を失わなかったことなどが幸いして、大事に至らなかった。「その違いは?」と廃炉資料館の方に尋ねたら、はっきりとした答えはなかったが、運がよかったということのようだった。

核燃料のデブリは880トン中1グラムもまだ取り出されていなくて、廃炉にはこの先何十年もかかる。
今回、子どもたちと訪ねられてよかったと思う。2人が大人になっても、まだまだ事故は終わっていない。

楢葉町で見た虹

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