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ナタナエルを知る ~知られている故の安心:ヨハネの福音書1章43-51節
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今日の箇所ではヨハネの福音書にしか名前が記されていないナタナエルとイエス様との関りから3つの点を取り上げます。
ヨハネ独自の不思議な描写が多い中、第1にこの箇所を知るうえで欠かせない旧約聖書の箇所を解説します:1.旧約聖書のヤコブ。次にイエス様が「ナタナエルを知っている」という言葉の意味と私たちとの関りについて考えます:2.ナタナエルを知るイエス様(12:52)。最後に「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります」の意味と私たちの関りについて考えます:3.さらに大きなことを見る。
当該聖句
1:43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。
1:44 彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。
1:45 ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
1:46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」ピリポは言った。「来て、見なさい。」
1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」
1:48 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは答えられた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」
1:49 ナタナエルは答えた。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
1:50 イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」
1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」
(引用聖句は全て新改訳聖書2017年版です)
導入
今日の箇所は推理小説の冒頭で主人公の探偵がどれほど優れているかが語られている有様に似ています読者はその実力が発揮されて行く様を楽しみに小説を読むことになります。
同じようにヨハネの福音書の読者は、これからイエス様が旧約聖書に約束された救い主としてどんなことを成していくのかを期待しながら読み進めていくことになるのです。
ナタナエルはイエス様が自分のことを知っていることに大変驚きました。そしてイエス様を救い主であると告白するのです。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(1:49)
他の福音書では終盤でイエス様の神性が明言されます。
しかし興味深いことにヨハネの福音書ではこの箇所の2つの告白の他に、最初の1章で既に弟子たちの言葉を通してイエス様について、救い主に関わる称号が紹介されているのです。「メシヤ」(1:40)、「旧約聖書で預言されていたメシヤ」(1:45)。
1.旧約聖書のヤコブ
「イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「『見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。』」(1:47)
本当のイスラエルの意味と背景
この言葉はナタナエルの本質を見抜くと同時に、彼に対する最高の誉め言葉でもあったのです。それは彼の民族的そして宗教的なアイデンティティと関わる内容だったからです。
ユダヤ人は民族的呼び名ですが、それに対してイスラエル人は神と特別な契約を結んだ民を指す呼び方だからです。
それを知るために旧約聖書のヤコブの物語に遡る必要があります。ヤコブはイサクの息子アブラハムの孫です。そしてそのヤコブの子供たちからイスラエルの12部族が形成されていたのです。
ヤコブがイスラエルに
ヤコブは兄エサウを出し抜いて長男の権利を奪いました。それを恨んだ兄に命を狙われることを知って生まれ故郷を出たのです。その旅の途上で神様から約束を頂いたのです。神の守りと祝福の約束でした。
それは野宿をしている時の夢の中の出来事でした。不思議な光景を目にしたのです。「 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。」(創世記28:12)。そして神の守りと子孫の祝福を約束されました。
その後ヤコブは移住先で大家族となりましたが、生まれ故郷に帰ることになりました。その道すがらヤコブは神様から新しい名前を授かりました。「神は彼に仰せられた。『あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。』こうして神は彼の名をイスラエルと呼ばれた。」(創世記35:10)
偉大な名「イスラエル」
このようにイスラエルはヤコブに与えられた特別な名前です。それは聖書では神様によって選ばれて祝福された契約の民、ヤコブの子孫への呼び名として用いられています。このように「イスラエル」とは民族的、宗教的アイデンティティの根拠となる偉大な名前なのです。
ナタナエルをはじめ12弟子はイエス様によって新しい神の民となっていくのです。そこには私たちも含まれています。そしてその新しい神様との契約、つまり神様の守りと祝福の契約の中に、私たちも入れられているのです。
2.ナタナエルを知るイエス様
「ナタナエルはイエスに言った。『どうして私をご存じなのですか。』イエスは答えられた。『ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。』」(1:48)
偽りのない人
懐疑的なナタナエルに対して最初にイエス様が告げた言葉の「本当のイスラエル人で偽りがない。」にはこのような意味もあります。最初にイスラエルと呼ばれたヤコブはずる賢い人としても知られていました。そのヤコブと違ってナタナエルの中には偽りがないというのです。
それは詩編32編の言葉に由来します。(32:1-2)「幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。/幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人」。さらに当時はいちじくの木の下で祈りや黙想をする習慣があったようです。ナタナエルはいちじくの木の下で祈りを捧げ、神の前で自分の罪やアイデンティティに関わる問題を打ち明けていたのかもしれません。
言葉にならない葛藤を知るイエス様
このようにイエス様はその人を知り言葉にならない葛藤さえも知る救い主であることが垣間見られます。しかもその人がイエス様を知る前から相手のことを知っているのです。これ以前にアンデレに「何を求めているのですか」と問いかけました。そしてこれから後もニコデモやサマリヤの女性との会話に似たような場面が見られます。イエス様は私たちのこともご存じなのです。
「主よあなたは私を探り知っておられます。/ あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。/…そのような知識は私にとってあまりにも不思議あまりにも高くて及びもつきません。」(139:1,2-6)
3.さらに大きなことを見る
「イエスは答えられた。『あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。…まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。』」(1:50-51抜粋)
ここでいう人の子とはイエス様です。そして「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りする」とはヤコブが見た夢を示唆しています。それはヤコブにとって、目に見えない神様がそこに現れて下さったという証だったのです。そしてイエス様は今や神ご自身としてこの地に下ってこられました。
イエス様が神の業(わざ)を行うのを見る
その上で「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」とはこういう意味です。弟子たちはこれから「神様の御業をイエス様がこの地において行うことを見ることになる。その究極のしるしをも見ることになる。」という意味です。
日常生活でイエス様の業(わざ)を見る
そのことをこれからヨハネの福音書で私たちも見て行きましょう。そうして私たちの生活の中でイエス様が働いて下さったという、救いの技を見ることができると期待して行きましょう。そして、アドベントのこの時期にその始まりの物語にも思いを馳せて行きましょう。
「わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。」(ヨハネ6:38-39)