虫たちの協奏曲で秋を感じるようになりました
わが家の隣家の庭から夜になると虫の声を聞くことができるようになってきました。
日没がはやくなり、夜の帳が下りると、さっそく虫たちの協演がはじまります。
心が落ち着く瞬間でしょうか。
しばらく虫の声に聞き入ってしまいます。
わが家の庭は、雑草を刈り取っているので、虫たちが近寄ってこないようです。
虫たちは庭に来ているのかもわかりませんが、わが家には、カエル、トカゲと肉食の爬虫類がわが物顔で行き来していますから、コオロギは、カエルやトカゲの餌食になっている可能性がありそうです。
庭木の消毒もよくしますからコオロギなどの虫たちにとっては、生活環境があまりよくないでしょう。
雑草もある程度生えている状態のほうがよいのでしょうが、私はへびが嫌いなので時間があれば雑草とりをして生えないようにしています。
虫たちには、悪いことをしています。
むかしは仕事が忙しかったので、雑草も適度に生えていたからでしょうか、多くのコオロギが庭に住んでいました。
秋になれば、身近に虫たちの協奏曲を聞くことができました。
いつもコオロギたちの奏でる音色に聞き入っていたものです。
昨日、先日からの雨で芝刈りができず伸び放題になっていたので、昼間、大汗をかきながら芝刈りをしました。
プランターに刈った芝をいれて、虫たちの住まいをつくってみました。
最近、庭で数匹コオロギをみましたから、うまくいけば来年協奏曲が聞けるかもわかりません。
なんでもやってみようが、私の人生でもあります。
そういえば、庭木に設置した巣箱に、今年シジュウカラはきませんでした。
私や妻は、のんびりと待つことができるタイプですから、コオロギも気長に待つことにしましょう。
朝から汗ばむような暑さでしたが、芝刈りをしているときに吹いてくる風は爽やかな秋の風になっています。
芝も季節を感じているようで、ところどころ夏から秋への身支度をはじめてきました。
芝が伸びすぎて芝刈り機が使えず、芝用の剪定ばさみで芝を刈っていくと、芝の状態がよくわかります。
時間はかかりますが、秋の風が私の体をいたわってくれます。
私はこうして自分の体で季節を感じることが好きです。
それが私の生き方でしょうか。
こんな日は、夜もよく眠れます。
先日、虫の声について次のような記事を読みました。
私たちが虫の声で季節を感じることができるのは、日本語という母国語の影響のようです。
私は、むかしから遊びながら虫の声を聞いていただけですが、脳の使い方にその理由があるとは、驚きでした。
虫たちのおかげで、どうやら勉強もできなかった私は、どうにか日本人として生きてくることができたようです。
虫たちにも感謝しかありません。
『夏、風鈴の音を聞くと涼しく感じ、虫の音を聞くと秋を感じる。ところが虫の音や風鈴の音を聞き分けることができるのは、日本人とポリネシア人だけだとか。
これは“脳”の使い方の違いだと言うのは、東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信氏の理論だ。
人間の脳は、「右脳」と「左脳」に分かれていて、右脳は音楽脳、左脳は言語脳と呼ばれる。右脳では音楽や機械音、雑音を処理する一方、左脳では人の話す声の理解など、論理的知的な処理を行う。
では、虫の音や風鈴の音をどちらの脳で処理しているかというと、日本人は「左脳」で、外国人は「右脳」なのだとか。つまり、日本人は虫の音を“声”として受け止めるけれど、外国人は“ノイズ”として処理するため、虫の音が聞こえないのではないかという。
角田教授は、こうした脳の使い方は遺伝ではなく、日本語を母国語として最初に覚えたかどうかで決まると言う』