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田んぼが土へかえっていく季節がやってきた

季節は真夏だ。
田んぼには、モンシロチョウやアマガエルがいなくなり、今はトンボとバッタが多く活動している。
田んぼの水が少なくなり、アメンボウやザリガニはみなくなった。
今年は、まだカメ(死んだカメを除けば)と出会っていない。
少しさびしい。
まだ、暑い日が続くのでカメと会えるチャンスはあるだろう。

この地の稲刈りはやく、今月(8月)末には稲刈りがはじまる。
私が知る黄金色の稲穂は、この地でみることができない。
かなり色が違う。
10月ごろ、旅行などで地方へいけば、むかし見た黄金色の稲をみることができる。
残念だが、この地の稲は、幼いころ、あの日みた田んぼの景色ではない。
私にはしっくりしない感じが残る。

人間とは不思議な生き物だ。
幼いころに見た色合いまで鮮明に記憶に残る。
おそろしいほど、体は反応する。
地方で黄金色になった田んぼをみると感動する。
しばらく車を止めて、田んぼのそばで、黄金色に熟した稲を眺めている。
稲の天日干しをみることもある。
あの日の感動が蘇る。

稲刈りのはやさにも目を見張る。
コンバインで稲刈りと同時に脱穀している。
稲刈りが終わった田んぼには、もみがらが山になって積んである。
燃やして肥料にするようだ。
あっという間に水田から田んぼへかえる。
むかしは稲刈りだけで数日かけていただろうか。
徐々に土へかえっていくのだが、今ではそんな風情はない。
稲を天日干しすることもなく、そんな景色はどこかへ消えてしまった。

生き物たちは、どこへ行くのだろうか。
あんなにたくさんいたアマガエルたちは、田んぼでもう見ることはない。
アメンボウもだ。
いつも不思議に思う。

また、新たな生き物たちが土にかえった田んぼにやってくる。
多くは鳥たちだ。
稲刈りの後は、多くのごちそうにありつける。
野鳥たちの楽園になる。

そんな風景とともに秋が過ぎ、すぐに冬がやってくる。
稲刈りが終わると、私は、田んぼの姿にどこか寂しさをみているようだ。
稲がない無表情な田んぼは、生の営みをみることが少なくなり、私の命もそれに反応する。
土に戻った田んぼは、休むことでまた力を蓄える。
まさに命の源だ。
そんな土を、そっと眺めてあげることも大切だ。
無表情だが、生の源だ。
本来、力をもっているものに派手さはない。
目立つこともなくひたすら稲のためだけに、自分の仕事をこつこつとするだけだ。

田んぼにくるといろいろなことを感じる。
それがよい。
日々変化していく風景がまじかにある。
その風景を眺めているだけでわくわくしてくる。
私の生きる原点かもわかならい。
田んぼ歩きは楽しくてしかたがない。

農家の人たちからは、あやしい爺が、田んぼを歩いていると思われているだろう。
できるだけそう思われないように、子供たちが使ってた虫取り網(へびよけの棒がわりだが)をもって長ぐつ(へび対策だが)スタイルで歩いている。
私には、子供に帰った気分だが、まわりからみると、とてもあやしくみえるだろう。
わが妻は、ただただあきれるばかりだ。
こんなに暑いのに。
田んぼで倒れないでね、と。。。

だが、楽しい。

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