私と母と生きる道
母の日なのでつらつらと思ったことを。
いつだったか
「仕事は苦しいものだと思っていた」
「子どもたちには苦しんで働く姿を見せたいとは思わない」
みたいな話を書きました。
その背景には私の両親、特に母の存在があります。
私の両親は共働きでした。
今はそれが世の中の当たり前ですが、私が子どもの頃は周りを見渡してみても両親がフルタイム正社員の共働きという家庭は今ほど多くはありませんでした。
少なくとも私の周りでは1割いるかいないかだったんじゃないでしょうか。
学校から帰る頃にはお母さんが家にいておかえりと言ってもらえる友人達がすごく羨ましかった反面、自分が大人になったらお母さんみたいになるんだと思っていました。
なんか格好良かったんですよね自分の母親が。
ただ、外でフルタイム正規雇用で働く母親がそう多くはなかったということは、今の子育て世代以上に無理をしていたのでしょう。
もしかしたら周囲から何か言われていたのかもしれません。
そもそも仕事が面白いとかそういう類の話は聞いた記憶がありません。
外で働くかっこよさの反面、私が思春期に差し掛かる頃には苦しい思いをしながら働いている姿がありありと見えるようになりました。
(まあそれは他の大人たちも大なり小なりそうでしたが。)
令和になった今でも理不尽〜!!!とか悔しい〜!!!と肌で感じることがあり、気持ち的にはこれだけで1記事愚痴で埋め尽くせそうなくらい(笑)の子どものいる女性の仕事探し。
「特に女の子は手に職つけておきなさい」とよく言われていたのですが、子どものいる女性の仕事探しが今よりもっと大変だったと思われる平成の時代、しんどくて転職しようにも容易ではない時代だったからこそ娘が将来生きやすくなる可能性を高めるためにそう言われていたのでしょう。
そのおかげで私は大学まで通わせてもらえたのですが、心の片隅に罪悪感を抱えながら学生生活を送っていました。
母は退職したらやりたいことの話を色々していました。ですがそれらは叶うことなく、母は50代前半で亡くなりました。
それからずっと、折に触れて母のことを思い出しているのですが、特に自分自身が妊娠して退職せざるを得なくなったとき、出産して母になったあと…母の人生ってなんだったんだろうと考えることが増えていきました。
苦しい思いをして家事や育児や仕事をして、老後を楽しみにしていただろうにその前に亡くなってしまった。
楽しみは全部後回しにしたのに、後回しにした楽しみは何も経験できなかった。
と同時に、妊娠に伴い退職し全然向いてないのに専業主婦にならざるを得なかった立場も経験して「羨ましく見えた友人たちのお母さんももしかしたら苦悩を抱えていたのでは…」と考えるようになりました。
正直私も女性・母親であるが故にこうせざるを得なかったみたいな経験はあるので、「こうあるべき」が今よりも強かったと思われる私の母世代前後の女性たちは既婚未婚子どもの有無などなど…を問わず今以上に何をするにしても「自分の意思に関わらずその道を選ばざるを得なかった」という人が多いのだろうと思います。
でもそれってどうなんでしょうね。
私は既婚で子どもがいるのでその立場の話をしますが…
子どもがいたら子ども最優先なのは勿論なんですが、苦しみを強いられながら大人が生きるのって果たして子どものためになるのだろうか…親が苦しむ姿を見せるのは子どもたちにとって良い影響があるのだろうか…
「影響なんかないよ。自分は自分、親は親だもん」
という子もいるでしょうし
「これ以上親に苦しい思いをさせたくないから多少無理してでもいい子でいなきゃ」
という子もいるでしょう。
私は後者でした。
いま思い返してみても、まあまあ人格形成上良いことはないんですよね。
無理していい子になるというのもあんまり良くないし、大人になってだいぶ落ち着きましたが以前は結構性格的に不安定で尖ってたというか捻くれてたというか…なので。
というのを我が子らには経験をさせたくないんですよね。
コロナ禍も重なり正直毎日いっぱいいっぱいで、もっと優しくしてあげればよかったと子どもたちの寝顔を見ながら反省する日々が続いています。
学ぶことは苦ではないにせよ、食いっぱぐれないように常に技術、制度、働き方について勉強し更に感性を磨き続けなければと自分で自分を急き立て続けているような、正直ちょっとキリキリしているようなところもあります。
だからこそ、私は出来るだけ楽しく生きたい。
出来るだけ家族みんなでハッピーに生きたいです。
私はあの時の次の時代に生きている母だから、かっこよかった母にプラスアルファの要素を上乗せして生きる更にかっこいい母になりたいと思っています。
多分それが、特に亡き母への親孝行になるような気がしてる。