「多様性」ってめんどくさい?
さて、いよいよ今回からは読書録を書いていこうと思う。そもそも僕が読書に目覚めたのは大学に入ってからのこと。決して本が嫌いだったわけではなく、中学・高校と部活三昧でシンプルに読書に割くような時間も心の余裕もなかった。ところが大学生になったとたん、意味の分からないほど暇な時間を与えられたので、「じゃあ本でも読んでみるか」というのがきっかけ。だから、「○○のために本を読もう!」という感じに、読書に明確な目的があって始めたわけではない。だけど大学4年間で人並みに読書してきて、あえて読書に意義を見出すのなら、それは「それを読まなければ体験するはずのなかった人生を体験することができる」(これ自体も「神様のカルテ」という大好きな小説から学んだ)ということに尽きると思う。さらに、多くの人生を体験することは、「想像力」を補ってくれる。にくいね、読書。
で、今回はこの本を紹介したい。
知っている人も多いかもしれない。何しろノンフィクション本屋大賞受賞作。さらに人知れず僕のブックランキング2019の1位に輝いている。作者はブレイディみかこさん。イギリス人の夫と中学生の息子をもつイギリス在住の女性だ。しかし、この本の主人公は彼女ではなく、息子の方。EU離脱か残留か、金持ちか貧乏か、イギリス人か否か、様々な軸により分断が進んでいる(といわれている)イギリス社会。こんな状況の中、社会の鏡ともいわれる「学校」で、イギリス人と日本人の親を持つ「ハーフアンドハーフ」の著者の息子は、いったい何を感じ、考えているのか。彼女はその一点に徹底的に寄り添い、過度に感情的になるようなこともなく、淡々と文字に起こしていく。
一つ一つのチャプターにつき、一投稿使えるくらいだが、他の本の記録もしていきたいので、あえて「多様性」という一つのキーワードに絞ってみた。
多様性はめんどくさい?
「多様性」という言葉を聞いて、ネガティブな印象を受ける人は、ほぼいないと思う。多様性には、人種、セクシュアリティ、障害の有無、学歴など、数え切れないほど様々な軸がある。このご時世なので、多くの人は「多様性のある社会は良い社会だ」と思い込んでいるし、それは間違いではない。しかし一方で、多様性を認めようとするがゆえに生じる面倒が必ずある。例えば、著者の息子は、互いに別々の理由で(単純化すれば、AはBを「貧乏」だから差別し、BはAを「移民の子」だからと差別している)差別し合う友達二人の板挟みになってしまう。そんな時の母子の会話。
「確かに、それじゃあ(AとBと)一緒には通学できそうにないね。」
「うん。どうしてこんなにややこしいんだろう。小学校の時は、外国人の両親がいる子がたくさんいたけど、こんな面倒なことにはならなかったもん。」
「それは、カトリック校の子たちは、国籍や民族性は違っても、家庭環境は似ていたからだよ。みんなお父さんとお母さんたちがいて、フリー・ミール制度なんて使ってる子いなかったでしょ。でもいまあんたが通っている中学校には、国籍や民族性とは違う軸で多様性がある」
「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど?」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ。」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばかりすると無知になるから」
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」
大学の教育に関する授業で、ディベートをする機会があった。テーマは「全日制高校において、進級を出席日数関係なくテストの成績のみで決めるべきか」。僕は「決めるべきではない。出席すべきだ。」派のグループに所属しており、様々な論拠を話し合った。出席が必要だというからには、「学校に来ることで何かが得られる」という主張が必要になる。その「何か」というのが「社会性」ということに、そこではなった。何とも曖昧だけど。
で、実際のディベートが始まる。僕自身は、その社会性を育む場として「特別活動」という指導要領上の領域を主張した。特別活動というのは、簡単に言えば体育大会、合唱コン、修学旅行などの集団活動のこと。「特別活動など教科以外の活動に参加することで社会性を育むことができます!」すると相手グループの一人が、これにものすごい勢いで反論してきた。僕を指名して。「そんなこと、やりたいひとだけでやればいいだろ!押し付けんな!」「体育大会なんてやりたい奴だけ参加して盛り上がってろ!」なんでこの人こんなに怒ってるんだろう。
と、感じるくらいにはものすごい剣幕だった。ここで僕が反論の軸にしたのが「多様性」だ。
特に体育大会や文化祭なんかは、ぶっちゃけやりたくない人もいるだろうし、一方で「その情熱をもう少し受験勉強にも分けたら?」というくらいに燃え上がっている人もいる。「やりたい人もいるし、やりたくない人もいる」この状態がまさに「多様性」のある状態だと思う。そういう集団で、意見の衝突と調整を繰り返しながら共有された目標に向かって進んでいく。こういうプロセスの中でこそ、だんだんと「無知」を減らすことができると僕も思う。母ちゃんに賛成。もちろん「多様性」がめちゃくちゃめんどくさいのは百も承知だが、「多様性」から逃げていては、「無知」はなくならないし、「無知」な人は簡単に、そして無意識に、人を傷つけてしまう。
ブレイディさんの息子は、「多様性の巣窟」ともいえるような中学校に通っている。そこにいるからこそ、「エンパシー」とは何ですかとテストで聞かれたときに「誰かの靴を履いてみること」(これ自体は英国で古くからある言い回しのようなものらしいが)という、信じられない答えが出てくる。そしてこの「エンパシー」もまた、前回の記事で語った「想像力」というのとほぼ同義だ。(多様性が無知を減らすということを中学一年生にして体現している息子は超人か?)
自分の中の「無知」を減らすために、「エンパシー」を身につけるために、僕は多様性から逃げないでいたいと思う。
ということで今回はブレイディみかこさん「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」でした。これから「おすすめの本は?」と聞かれたら間違いなく一冊目に出てくる本。
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