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【連載・能登の遺伝子④】「僕らは浜を手に入れた」/地震で失ったもの、新たに得られたもの/株式会社湊(ゲストハウス黒島)代表取締役・杉野智行さん㊦

海岸線が200m移動

輪島市門前町黒島町。いま、この地から日本海を眺めると、自然の力の大きさに圧倒される。西に延びる水平線の手前に、能登半島地震によって隆起した地面が広がっているからだ。

杉野によれば、黒島では地面が上方向に4m動いた結果、波打ち際が200m後退し、もともと海の底だったところが地上に露出した。表面は砂地。点在する岩の隙間を縫うように生えた雑草は、地震から1年という時の流れを感じさせるとともに、そこがもはや「陸地」であることを主張する。

海とともにあった集落において、海岸線が移動するほどに地面が隆起すると、どうなるか。舟小屋は海から離れたため、そのままでは舟を出せない。杉野によれば、地元の港は漁業の拠点となっているわけではないので、早期の再整備に向けたハードルは高い。

黒島という集落を形づくってきた前提条件とでも呼ぶべき環境が、まるっきり覆されてしまった。

「悲しい場所にはしない」

そんな苦境の中で、杉野はあえてこう語る。「せっかく地震に遭ったんだから」。もちろん、被害を軽んじているわけではない。マイナス面ばかりに気を取られて失ったものを数えるだけでなく、目の前の現実をプラス方向に捉えてみよう、という意図である。

たとえば「地面が隆起して海底が露出してしまった」と考えれば、自然の巨大な力を前に、なす術もなかった人間の無力さに思い至ってしまう。この点、杉野は「僕らは浜を手に入れた」と表現した。

そう言われると、海底が隆起した港は、さながら「防波堤に守られたビーチ」である。これまで以上に地域を盛り立てるため、港としての本来の機能を取り戻す復旧作業を進めるのと並行し、新たに加わったビーチという機能を地域資源として活用する。ちょうど、全国の人々が能登に手を差し伸べてくれている。今だからこそ実現できることがあるかも知れない、ということだ。

「能登を、震災の記憶ばかりが残る悲しい場所にはしない」

杉野は再び走り出した。

社名に込めた想い

2024年5月、杉野は新会社を設立した。名前は「株式会社湊」。海風が薫るような黒島らしい響きの社名である。

同じ「みなと」という読みの漢字でも「港」ではなく「湊」としたのには理由がある。「湊」は単に舟が発着する設備という意味を超えて「人が集うところ」というニュアンスを含むからだ。この名付けに、震災を受けた杉野の心境の変化が現れている。

㊤に記した通り、もともと構想していた事業は海と山に囲まれた立地を生かした趣味性の高いゲストハウスの運営だった。筆者なりに解釈すると、豊かな海と山、それらと密接に結びついた人々の生活という「能登にあるものを味わう・楽しむ」という性格が強かった。

ところが、地震と豪雨により、そこにあるはずのものが傷付き、なくなった。海岸線は移動し、山は荒廃し、住民は減少した。

この状況下で何ができるか。そんな自問自答を経て練り直した事業プランでは、杉野自身が地域の当事者として魅力を深掘りするだけでなく、積極的に地域づくりや魅力の発信に参画しようという姿勢が見てとれる。

「人が集うところ」。単に泊まるためだけの施設を運営するのではなく、さまざまな人々と触れ合うゲストハウスを通じ、営々と受け継がれてきた黒島の暮らしを次代へつなぐために貢献する存在でありたい。たった1字からなる社名は、そんな決意表明でもある。

船出

ゲストハウス黒島は2024年8月1日、船出の日を迎えた。集落にあった別の建物を購入。クラウドファンディングも活用して急ピッチで整備を進めた。

念願のゲストハウスがオープンし、株式会社湊はこれから5つのチャレンジに取り組むという。「マリンアクティビティ」「ウニプロジェクト」「耕作放棄地 果樹の再活用」などだ。

マリンアクティビティは海底の隆起によって現れたビーチを、地域の新たな魅力として打ち出す。地震によって新たに得たものをこれから生かしていくという発想だ。

一方、磯焼け(=海藻がなくなること)の原因となるウニや耕作放棄地の増加への対策は、まったく性質が異なる。これらは地震以前から課題として存在してきた。その解決をあえてビジネスに取り込むところに、地域をめぐる長い時間軸の中に自らを位置付けようという考えが表現されている。杉野は「自分たちの存在意義を、自分たちの手でつくりたい」と語った。

将来的には「世界に10の『湊』をつくりたい」という。

黒島のように小さな集落が永続するには、どうしても地域外の人を呼び込まないといけない。世界中に「湊」があれば、互いのエリアの良さを紹介し合い、旅行者が湊から湊へ渡り歩く循環が生み出せる。小さな集落同士が遠い距離を結びつける、そんな日を夢見ている。

日本海を望んで

午後5時ごろ。黒島から西の方向を見たら、一面の日本海に太陽が沈みかけていた。取材中に聞いた「海の美しさは今も変わらない」という言葉を思い出して感傷に浸っていた筆者に、杉野が申し訳なさそうに切り出した。

「実は…そろそろ保育園に子どもを迎えに行かないと…」

夕日を背にしたシルエットに白い歯が覗き、ビーチサンダルの音が軽やかに遠ざかっていった。

(敬称略。ライターは国分紀芳が務めました。)


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