たまたま聞いた渋沢さんの話に感動したから聞いて欲しい
4月の日曜日。二子玉川で開催されていたとあるイベントでのこと。
お約束の偉い人によるご挨拶がはじまった。紹介された男性がマイクの前に立つと、会場は身構えるような空気に包まれる。参加者の多くが「短い話だといいなぁ...」と思うあの感じ。
ところが、その方が渋沢栄一さんの曽孫である澁澤寿一さんであると分かると会場はざわついた。そして、大方の期待を裏切る熱いご挨拶が始まった。
(正確な書き起こしではないけれど、手元のメモからお話を回想する〜)
「渋沢栄一は農家に生まれました。まだ士農工商の身分制度が色濃く残っていた時代ですので、当時は人と人が仕事を通じて1対1のコミュニケーションを取ることが難しかった。だから、お金を通して対等な関係を作ろうとした。栄一は資本主義にはそうした可能性を感じていたと思います。
今は、お金がお金を産む金融というものが生まれて、人のコミュニケーションを介さないお金のやりとりも増えました。けれど、資本主義には、お金には、人と人をつなぐ役目がある。お金をどう稼いでどう使うか。それはメッセージになるんです。
今から100年後、資本主義は違った形に姿を変えているかもしれません。全く別の仕組みが当たり前になっているかもしれません。けれど、それを作っていくのは皆さんです。どうやって作るか。自分が共感する考え方や仕組みにお金を払うことでメッセージを送り、応援することが出来ます。それこそ栄一が目指していたお金の使われ方だと私は思います。」
聞いていて、すっかり高揚してしまった。
それは僕だけでなかったようで、大きな拍手が会場を包んだ。
「自分が当たり前だと思っている仕組みも、100年以上前に誰かが情熱を傾けて広めたもの」ということを僕は分かっていたようで分かってなかった。澁澤寿一さんがお話するから生まれる説得力もあって、大きな歴史の中の今を感じた。
そして、自分の中にある「世の中もっとこうなったらいいな」を肯定してもらった気持ちになった。今の当たり前は、昔のオルタナティブ。そうやって、少しずつ世界は変わってきた。しかも生活の中にある「お金の使い方」で、未来は変わりうるんだというのは、等身大でいいなぁ、と素直に思えた。
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「仮に自分のお金の使い方がメッセージになったとして、そんなのたかが知れてない?」そうかもしれない。
けど、物々交換の手段としてただ移動しているお金にほんの少し気持ちが乗っかるだけで、生活は大きく変わる気がする。なぜならお金というツールによって、思想の循環が切れてしまっていることが沢山あるから。
自分の思想と照らし合わされないお金のやりとりが世の中には沢山ある。服を買うときにそのブランドのあり方を大事にすることはあっても、じゃあ保険を払うときはどうだろう。家賃を払う相手のことをどれだけ知ってるだろう。この日の講演以来、思想の途切れないお給料の払い方はないかずっと考えている。
よく調べて、吟味してお金を払うのは大変だから、定期的に支払われるものほど、思想が抜け落ちてしまうかもしれない。吟味することを放棄して、もっとドライに「結局金でしょ?」って思うことは簡単だ。全てを吟味するのは難しくても、同じ結局金なら、自分の信じる方法で稼ぐこと、自分の信じるものに使うこと。そこは大事にしたいと思った。
https://scf.tokyo/
*冒頭のイベントは世田谷コミュニティ財団の1周年パーティでした。
おめでとうございます!