過去を思い出す時、記憶は言語モドキで成り立っている
こんにちは!のりだよ〜◼️(´▽`)
みんなは過去を思い出す時、その思い出した記憶ってどんな形で浮かんでくる?
私の場合、1番多いのは「言語モドキ」なんだよね。
言語モドキとは
言葉モドキは以下の特徴を持つ
・脳内のみに存在する物事の解釈方式
・図、色、音、数式等を伴わない
・この解釈を誰かに伝える場合、解釈時と最も近い情報を持つ伝達手段は言語
・言語化した際、2重以上の表現が必要になる場合がある(後述)
んー、例えば、「解釈」という単語は、言語モドキを扱う為にちょうど良い単語だと思う。
「解釈の意味を教えてください」
この文章を目に入れた時、パッと辞書的な説明が浮かぶというよりは、ぼんやりと「分かるけど、改めて説明しろと言われるとちょっと詰まる...」となる。この「ぼんやり」には図、色、音、数式などとは異なる言語化できていない概念が頭にある。これが言語モドキ。
「解釈とは、物事を受け手側から理解すること。あるいは理解したことを説明することです。」
おお!なるほど!すとんと腑に落ちた!
(理解とは何か。みたいな話は一回置いておくとする)
この瞬間、解釈の意味として頭の中でぽわぽわ浮かんでいた言語モドキは言語に集約される。
重なる言語モドキ
「佐藤さん」
これを目で見て脳内で言語モドキにすると、「一般的な名前で実在しない佐藤さん」と「あなたの身近にいる佐藤さん」の2つが連想される。これが重なる言語モドキ。(身近に佐藤さんがいない場合は田中さんでも何でも良い)
言語モドキはどこにいる?
文字を目に入れた時、脳内でそれをそのまま読み上げる事はない。私の頭はそれを言語モドキとして脳に入れる。(だから、読み上げるよりも早く頭に入れることができる。覚えられるかはさておき。)
何か記事を書く時、私は事前に文書を考えない。言語モドキだけは先に脳内にあって、指を動かしながら、その言語モドキを急いで言葉に直して打っている。
他の言語を学習する時「脳内で対象の英文を日本語に変換するのではなくて、その英文を見てシチュエーションをイメージ出来るようになると良い」みたいな話があると思う。
この「イメージ」がどのような形を取るのかが、人によって異なると思っていて、画像や映像のように浮かぶ人も居れば、私のように言語モドキで浮かぶ人もいるんだと思う。
言語モドキの長さ
あくまで主観。
脳内で取り扱う時に、以下の文章を考えた際、どちらの方が長く脳を占領するか。
猫 → 言語モドキの方が長いかも
ソクラテス → 言語モドキの方が短い
私は猫 → 同じ
吾輩は猫である → 言語モドキの方が短い(重なる)
人は私が猫であると噂する → 言語モドキの方が短い
まとめ
映像記憶の真逆みたいな感じかも。
「言語モドキ」にピッタリ合う既存の概念を知らないんだよね。
一番近いのは「魔術講座」で言及されていた「アストラル」だと記憶している。
意味は「物質になる一つ前の段階のもの」
一般的なアストラルは別の意味(精神とか星とかだった気がする)で、その本だけのオリジナルな意味づけかも?忘れた。
まあ、言語性についての要素は無いけど、これ以上に近い概念を知らないなあ。
知ってたら教えて〜◼️(´▽`)