脱「脱」論
おはようございます、再びジョイマン三科です。
令和ロマーン、いっせんまーん、塙さん不満。勘違いか。
冬本番。
ランニングの鼻水問題が今年も浮上。
大阪マラソンでは大量のティッシュが必要になりそう。
給水所があるなら給ティッシュ場を作っていただきたい。
お世話になっている方が、【脱「学校」論】という本を出版されました。
何度も不登校の話しや教育の話しは、著者の家に押しかけ朝まで日頃の不満をぶつけるほどしてきたこともあるので、だいたいの中身は勝手に想像してます。
そのタイトルを見ながら、「そういえばこういう【脱・○○論】って本、不登校関係でも多いよなぁ」と考えていました。
タイトルが多いという意味ではなく、「お母さんがここを直せば解決する!」みたいなものや、「不登校をこう捉えなおそう!こう考えよう!」みたいなやつ。
今Amazonで調べたら、ベストセラーは「不登校の9割は親が解決できる!」ってやつでしたね。
親に「こうしましょう」「こうなりましょう」「こう考えましょう」って言って、それをしないと大変なことになりますよ~っていう昔からある不安煽り系商売をしたいという意図なのはわかります(クソだと思います)。
それを求めた結果、問題(だと思っていること)が解決した!って方もおられると思うので、それはそれですごいことだと思う反面、じゃあ自分なら今どういうことを伝えたいのかなぁと考えると、【脱「脱」論】だと感じています。
意味はそのままで、「脱○○論」のようなことから脱するということです。
例えば、僕がよく承るご相談には、「もう今は絶対に学校に行ってほしいとは思ってないんですけど、子どもはずっと家にひきこもっています」という内容や、「エネルギーが溜まるのを待つようにと言われたので、今はひたすら文句も言わず子どもが家にずっと居てゲームをし続けていても待ってるんです」といったものがあります。
これは恐らく、「学校に行ってほしいと思うことが子どもにはプレッシャーだからやめましょう」といったことや、「子どもは休息をとってエネルギーが溜まれば自然と動き出すから、親はそれまで待つように」といったことを誰かに言われたり本やネットでそういった内容のことを読まれたんだろうなと推測しています。
でも、そんなことを心の底から思えたり実践できる親ってなかなかいないんじゃないかと僕は思います(実際に僕ならできないし思えません)。
「学校に行ってほしいなぁ」とか「せめて外には出てくれよ~」とか「フリースクールで育つってホンマに大丈夫なんかなぁ」と思うことはごく自然な感情なんじゃないかとフリースクール運営者も考えています(笑)。
大切なのは、今の自分を否定して何かになることではなく、今の自分の感情や想いを素直に受け止めることから始めることだと感じています(自分で自分の考えを太文字にするの恥ずかしっ笑)。
嘘はバレます(笑)
毛穴から出ます。
空気で伝わります。
それならいっそのこと、理想の自分は一旦置いといて裸の自分を子どもにさらけ出せばええやんって思います。
もう、不登校の親ならこう考えて当たり前!とか、どん底から脱したキラキラした誰々像なんて捨ててしまえばいい。
そういう意味で、脱「脱」論を僕は唱えます。
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三科元明とフリースクール、そして不登校。
フリースクールの日常から、不登校に関すること、子どもたちへの想いや出来事を記事にします。また、それ以外にも不登校を経験した子どもやその保護…
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