明日の教育「独り言」
「覚える教育からの脱皮」
学校の行われる指導の中で今でも根強くある「暗記学習」。この考え方は、時代を経て「記憶」という言葉に置き換えられてきた。覚えることが良いことだと、まさしく記憶力を付けることが学習の基本に据えられていた。しかし、最近にこの指導に疑問を感じてきた。それは隣国からの情報からだった。私から見て、今の中国、韓国、北朝鮮の教育は、その中心に政治の力を感じる。幼い頃から、政治色の強い歴史の事柄を教え込まれる(記憶)。教育の中立性を考えると、決してあってはならない事だと思う。本来、歴史は覚えるべき学習ではない。その時の考え方、リーダーの資質、判断などについて、疑い、見抜き、真実はどうであったかを論じる学問ではないだろうか。教師が、自分の主観を述べるのではなく、生徒と論じるべき学習だ。思考力が問われるこれからの時代に、今のままでは、歴史の事象と簡単な説明がある教科書では先生という存在は必要とされなくなる。我が国では日本史と世界史を分けて学ぶが、時系列で考えれば、歴史という大きな考え方で学ぶべきだろう。そこから論議が生まれてくる。このようにして分析すると、思考力を高めるという新指導要領は、どうしても言葉先行としか思えない。ビジョンがなく、政治色が濃くなっているだけではないのだろうか。
教育改革が進んでいるが、民間の推し進める教育のグローバル化から考えると、政府の進めるこの教育改革は、グローバル化とは相反する内容を示し始めているように感じる。隣国に歩調を合わせ、ナショナリズムを意識し始めているのではないだろうか。教育改革の柱である教育委員会に対し首長の権限を強化する地方教育行政改正法案を提出すると言う。こうして次第に政治色の強くなる教育改革は、過去の歴史から学んだ教育の中立性が揺らぎ始めている危機的状況と言わざるを得ない。与党の公明党が、教育行政の政治性が高まると批判しているが、ぜひ、自民党の暴走を食い止めて頂きたい。
教育界は、「覚える」教育の脱皮をしなければならない。先ほどの歴史は、今まで暗記学習が中心であった。しかし、それでは歴史を学んだことにならないのではないだろうか。考える学習は、国語や算数だけではない。こうして広く物事を考える事の出来る大切な教科がある。言葉を学ぶことで、広く人の考えを学ぶ事が出来るし、また、自分の意見を述べることが出来る。物事の道理を学ぶ事が出来る。抽象的な考え方も出来れば具体的思考も出来る。それ以上に、人間でしかできない未来予測・予想ができる。そして、数字がその未来を立証する事も出来る。
思考力を高める為に、もっと会話が議論が必要だ。数で優位に立つ政権であれば、もっと議論を徹底する、「思考する」ことが責務だと言える。教育は、子ども達の将来の為に行われるべきであり、大人達の利害関係で成り立つものではない。
2013/2/2
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫
石川先生監修!
幼児教室・学習塾のキッズスクールアップル富ヶ谷
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