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思い違いの学習記憶「独り言」

「仮説 学習記憶」

40年近くも子ども達を指導していると、彼らが躓くだろう学習が解るようになる。長い間の経験や体験を通して体感するからだと思う。子ども達一人一人によっても苦手な学習の内容が違う。今回は、学力に悩む子ども達の事を考えた、自分自身の仮説を述べてみたい。

 子ども達は、学習を積み重ねていく上で、二つの情報に悩まされることになる。一つは、正しい情報記憶である「リアルメモリー」、もう一つが、聞き間違いや思い込みから生まれると思われる偽情報「フォールスメモリー」だ。実は、この学習記憶は指導者側にも存在する。ある意味、我々の学習記憶は曖昧なものが数多く存在すると言っても良い。この思い込みとも言える記憶は、学習の過程で訂正されるべき時に訂正されなければならない。

時代劇で同心等が使う「十手」、多くの方は「じゅって」と言ってしまう。正しくは「じって」だ。カタカナの「ヲ」、大多数の方が「フ」を書いてから「ヲ」とする。必要の「必」に至っては「心」を先に書いてしまう。これらは全て偽の偽情報により誤った解釈だ。正しく教えているつもりでも、意外と真実とはかけ離れていることが多い。だから教育には専門職が必要になる。簡単そうに見えても真実を指導する事は難しい。筆順、オ段の長音等の誤った指導はその代表例とされる。また、近年では時代の変化から、その時代の解釈がされるようになてきた諺もある。しかし間違いであることに変わりはない。「情けは人のためならず」は乾ききった現在の人間関係を象徴するかのような解釈になっている。子どもの学力低下は、こうした思い違いが引き金になることもあるのではないだろうか。大人の持つ、学習の偽情報も関連してくるのではないだろうか。

 学習を進めていくと、子ども達の解釈の中には、いい加減な考え方や、自分本位の考え方による勝手な解釈が多く見られる。最近の子ども達から、「知ってる」「解ってるよ」ということばを良く耳にするようになってきた。実は、このことばを吐くことで、彼らは指導者の説明やことばを拒否していることになる。学習には素直さが必要とよく言われるが、平成の子ども達は、正しい学習情報を拒む傾向にあるように感じる。この背景には、大人や教師に対し「尊敬」するという教育や指導が成されていないのが原因なのかもしれない。つまり、「学ぶという姿勢」が大切なのだ。そこには謙虚な態度が要求とされる。「人の話を聞く」という当たり前の「躾」が要求される。これらは、本来、家庭で行われるべきことなのだ。現代社会は「要求社会」と言われている。他者に向かい常に要求を突きつける。子育ても同様だ。しかし、その基本となる部分で、自分たちが要求されていることに気付いていない。目の前にいる子どもを見つめる、子育ての基本だ。

曖昧な学習記憶は成績に反映されてしまう。学習の「フォールスメモリー」は思い込みや勝手な解釈から起こる場合が多い。偽の学習記憶が癌となり、様々な学習に影響を与えていく。学力低下の原因ともなっている。正しい学習記憶に置き換えるには、子どもの意識が重要となる。また、指導する学習内容を分析し、子どもがどこで考え違いを起こすか「間違いの想定」をしておく必要がある。その為、問題の解法手順(アルゴリズム)を使い指導するのも一つの方法だろう。そして、それは自らの間違いに気付かせるようにすべきだと思う。自ら間違った学習記憶を塗り替えることがもう一つの学習になる。「フォールスメモリー」には、間違った記憶や解釈だけでなく、曖昧な記憶というものもある。「曖昧」さが、算数などの論理思考を求める教科の理解を妨げている。「単位」「単位換算」「分数」「小数」「割合」「時間」「速さ」それぞれ規則性や論理性から悩む子ども達は多い。基礎指導の後を引き継ぐ学習指導には、学習記憶にも配慮した指導が必要になる。これからの民間教育は、公教育とは違う指導面の緻密さが更に必要になるのだろう。

2014/9/15


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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