ガキ大将「独り言」
「お互い様」
昔の話しをして申し訳ないが、近所には必ずといっていいほど「ガキ大将」がいた。普段は威張りくさっているが、決して自分より弱いものを虐めたりはしない。まして女の子に手を出そうものなら大変な事になる。子どもには子どもなりのルールが存在した。會津の「什の掟」ではないが、子ども心に「正義」はあった。子ども同士の結びつきだけでなく、親同士の結びつきも強かった。地域環境はどこか開放的な部分が随分あった。そんな環境に子ども達はいた。
私は、中央区築地の生まれで、幼児期は佃で育った。まさに下町育ちで、今でも「義理人情」に弱い。従兄弟が当時東映のスターで、銀幕で活躍していた。従兄弟は当然主役で良い役ばかり、それを見ている私は、いつの間にか自分も正義の味方と思い込んでいた。以前の我が国は、家族だけでなく、地域環境が子どもを育てる環境にあった。悪いことをすれば「雷おやじ」に怒られる。表現が悪くて申し訳ないが「雷ばあさん」にもこっぴどく怒られたものだ。そこには「三丁目の夕日」の世界が広がっていた。
近所の出来事は手に取るように解る。それだけ「人」に関心を持っていた。というより、人と人との結びつきが強かった。この頃の大人から、親からよく言われたことばが「人に迷惑を掛けるな」だった。最近このことばを聞く機会が少なくなって来た。また「お互い様」ということばも大人達が頻繁に使っていた。親は子どもを育て、子どもは年老いた親の面倒を見ることが当たり前の社会であった。「いつか来た道」であり「いずれ行く道」だからだ。
ニュースで、管官房長官が「沖縄で誰が知事になろうと基地建設は行う」と明言した。半数以上が辺野古移設に反対しているのだが、次の選挙の争点にはならないと牽制している。権力という、一般の人では適わない力でねじ伏せる事にどんな大義があるのだろう。沖縄の負担を減らすどころか、新たな負担と苦痛を県民の方に与え、更に絶滅危惧種であるジュゴンの生息地を破壊する行為に「正義」はまったく感じられない。「沢山の沖縄県民を政府が虐めているとしか思えない。」これは中学生のことばだ。「ガキ大将」は、決して弱いもの虐めはしない。逆に弱いものを守ってきた。国として守るべきは誰か(何か)。沖縄県民こそその対象になるはずだ。
政府自体がこうした弱いもの虐めをする傍らで、全盲の女子高校生が無頼漢から足を蹴られ怪我をさせる事件が起きた。その前は盲導犬も被害に遭っている。人を思いやる気持が薄れ、逆に弱者に対する暴力的行為が目につき始めている。日本人が持っていた思いやりの心は失われつつあるのだろうか。駅構内で白杖を使い歩くには危険と恐怖が混在する。目のご不自由の方は年間でかなりの人数がホームから転落し怪我をされている。弱者が安心して暮らせる社会でなければならない。たぶん、今回「歩きスマホ」問題も絡んでいるかもしれない。法で規制しなければなくならないようでは、日本国民の人間性が問われかねない。
「我が身をつねって人の痛さを知る」大分説教じみてきたが、「お互い様」という、互いを認め合う関係を築かなければと思う。どこか昔懐かしい「ガキ大将」の持つ優しさを求めてしまう。
2014/9/11
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫
石川先生監修!
幼児教室・学習塾のキッズスクールアップル富ヶ谷
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