英語教育を考える
「二分される見解」
一時大流行した「右脳教育」だが、その後、日本脳神経学会から行きすぎた脳解釈に一部否定と警鐘が鳴らされた。また、「脳トレ」も同様で、これにも効果はないという学会からの報告がされ教育界に衝撃が走った。脳科学者からの報告や発表は、脳の発達を身近に感じている教育者にとって、様々な学習指導の裏付けとなる理論だ。その為、自分勝手に、理論や発表の都合の良いところだけを引用する傾向にある。しかし、先の理研問題ではないが、脳科学も同様に最近の学説は基礎研究の段階であり、決定づける具体的実証はまだされていないことが多い。
以上の事を前提とし、英語教育をまっさらな状態で考え直す必要があると思う。英語教育は必要である。これは多くの方が認める事だ。しかし、いつから、どのように、どの機関でとなると、様々な意見があり実際に行動に移すとなると悩んでしまう。そこに、脳科学が登場し「早ければいい」と急かされてしまうと親としては焦ってしまう。実際に、乳幼児の音を聞き分ける能力は非常に優れているという報告がある。また、これと平行して、言語の習得は一定年齢を過ぎると難しくなるという脳科学の研究に基づいた学説もある。これに対し、言語を学び始める年齢で、語学の習得に大きな差は見られないという意見も聞く。20歳を過ぎ習得したという人も数多く存在する。こうなると益々悩み迷ってしまう事になるだろう。
こうした論議に、いつも感じるのは本質が掛けていることだ。何の為に子どもに英語を学ばせるのかと尋ねると、殆ど同じような言葉が返ってくる。国際感覚・グローバル教育・実社会で役に立つ等の言葉が並ぶ。その通りなのだが、もっと大切な子ども自身の人間形成や、学習能力、そして、国際感覚という言葉専攻ではなく、その意味する内容の理解がされているかだと思う。子どもの持つ能力の一つとして「言語力「外国語能力」があるのろう。つまり、英語力を生かすも、殺すも、子どもの持つ総合能力で左右されるはずだ。だから、バランスの取れた教育が必要なのではないだろうか。高い言語力を持っている若い商社マンが、外国の方から日本文化の「侘び寂び」について聞かれ「わさび」について解説したという話しをある方から聞いた。日本の国際感覚とはこの程度とその方は言う。自国の文化を知らない者を国際人とは言わないと言いたいのだろう。そういえば、和食も知らず、伝統文化もしらない日本人は多い。英語を話せるだけが国際人とは言えない、なるほど、ここにも言葉が先行した張りぼての国際感覚かと言わざるを得ない。
人の持つ人間性、人格は母国語により表現される。その人の思考の源が言語によるものだからだ。外国語の表現能力も母国語の語彙数に比例すると言われている。と言う事は、外国語が、母国語以上の語彙数を有することはない。これを前提とすると、母国語の認知と形成が外国語をマスターする大切なキーワードになる。さもなければ、外国語が母国語となり、日本語による表現活動に問題を残す可能性がある。特に、文字表現では、平仮名・カタカナ・漢字・アルファベット・数字・記号とこれだけの内容を理解するのは大変困難なことだ。母国語の習得は3歳頃までにほぼ終了する。小学校入学前までに、基本的言語領域の習得は終焉する。言語習得は、対する言葉をどれだけ繰り返し「聞き」そして「話す」か、聞く量と話す量で決定される。この量が、母国語・外国語で逆転する事で、脳内の母国語認識は変わるだろう。
ここで、同時に複数の言語を同量の割合で学習させた場合、どんな問題、および利点があるのかを想定する必要がある。しかし、事は重大だ。人の能力差は語彙数によって左右されるからだ。ただ、我が国の場合、英語など外国が日本語を上回る頻度で子ども達に与えられるケースはごく稀だ。こうして考えて行くと、外国語学習の正しい受けさせ方が少し見えてくる。次回へ
2014/4/7
著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫
石川先生監修!
幼児教室・学習塾のキッズスクールアップル富ヶ谷
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