親のスイッチ
「子どもの学力を決める親のスイッチ」
子どもの学力に不安を抱えている保護者は多い。放っておけば、子ども自身も自分の学力に不安を持ち始める。子どもの心に劣等感が芽生えてしまう。しかし、教育現場では、子どもの学力を論じる前に、子ども達の人間的成長に対する疑問が沸き始めている。学習に向かう姿勢が、投げやりであり、面倒くさがる。教師に対しても、当初(小学1年生から)から反抗的な態度や、バカにした態度が目立つと言う。入学当初から学校教育が成り立たない状態である学校も珍しくない。自身の家庭力の低下に気付かず、全て学校や教育機関にお任せという保護者は多いと、現場の教師は嘆く。
子どもと向き合う、保護者として当たり前の事ができていないのでは亡いだろうか。子どものやる気スイッチをテーマにした大手塾のCMがあったが、子どものやる気スイッチをONにするのは、実は保護者であることに気付いて欲しい。子どもに向けられることばも、「肯定的声援」と「否定的声援」があるのをご存じだろうか。どうも、最近の傾向では否定的な声援が目立っているようだ。学習時間についても、「10分しか勉強してないの?それで成績が上がる?、もうちょっと頑張ろうよ」という否定的声援に対して、「10分間も集中できたの!すごいね!、あと5分間だけ頑張ってみれば!」というのが肯定的声援になる。これは一つの例だが、どちらが子どものやる気を引き起こし持続させるだろう。
「うちの子、全然勉強しないのよねぇ」で終わってしまう保護者が多いと、同年齢の保護者から聞いた。つまり、保護者側の「やる気スイッチ」が入っていないと言う。なる程、「保護者の意識は子どもの成績と比例する。」まさにその通りなのかも知れない。保護者側のスイッチが入っていると、指導する側のスイッチも全てONになる。つまり、保護者の協力が得られるからだ。この連鎖が子どものやる気スイッチをONにする。こうした状態は、学習の環境が整ってきた証だろう。幼い内から学ぶ事は必然と捉え、学ぶ事が当たり前の環境を整えておく必要がある。では、幼児期の学ぶとは何か、それは、生活の正しい習慣化だ。自立ということばがある、しかし、このことばをはき違えている。自立とは、突き放すことではなく、生活に関する様々な事を一人でできるようにする、そう育てることを前提としている。つまり、自立に必要なのは子どもが、生活できるよう教えることだ。3歳でも親に食べさせて貰っていたり、着替えや、靴を親に手伝って貰っている子は、その後、自分自身苦しむことになる。当たり前の事ができないからだ。
現代社会に見られる子どもの状態変化は、幼児期からその兆候が現れている。それは、保護者側の変化だと思われる。今後、幼児教育の内容も大きく変化してくるだろう。それは、対子どもだけでなく、保護者の積極的な子育てに関する指導が含まれて来なければならないだろう。「子育て」に関し如何に保護者の関わりが重要であるか、その関わり方が、子どもの性格や学習意欲に関係してくるとなると、見過ごすことはできない。また、教室という物理的な環境にも変化の波が訪れる。
年長から始まるだろう義務教育、親としてそろそろ考えておくべきなのかも知れない。