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中高生の日常と隣り合わせの世界 〜依存症編〜

「依存症」「社会保障」「闇バイト」。これらの言葉を聞いて、「直接、自分や自分の周りの人とは関係ない」と感じる人もいるかもしれません。実際、CLACKで関わる中高生も、生徒自身は、”現時点では” 関係ないことが多いです。

しかし、困難を抱える中高生と向き合う中で、これらのテーマが彼らの高校卒業後の日常に地続きで存在していることを実感しています。

たとえば一見大丈夫そうに見える生徒の中にも、本人の話をよくよく聞いてみると、親や兄弟が依存症になっていたり、社会保障制度を受けられる状況であることが分からずに経済的困窮に陥ってしまっていたりする子が結構います。

また最近、とある卒業生から「闇バイトを始めるべきか悩んでいる」という相談を受けました。それはつまり、支援している学生たちがいつでもこうした世界に足を踏み入れる可能性を持っていることを意味しているのではないでしょうか。

中高生の日常のすぐそばに潜む「依存症」「闇バイト」などに対しての考察を綴っていきたいと思います。


参考にした本と、その理由

CLACKでは、彼らが「依存症に陥る」「闇バイトに手を染める」といった状況に陥らないように支援するため、これらの問題に対してより深い理解が必要だと考えています。また、福祉・教育・就労の分野を超えた支援が必要だとも感じています。

まずは自分が可能な限り理解を深めるために、以下3冊の本を読みました。闇バイトについて考える上で、闇バイトの最大のライバルは社会保障(福祉)だと思っています。そして、依存症は、闇バイトや反社会的勢力と関係が深いのではないかと考えてのチョイスです。

世界一やさしい依存症入門

15歳からの社会保障

闇バイト 凶悪化する若者のリアル

第一回の今回は「世界一やさしい依存症入門」をベースに、僕自身が見てきた視点も踏まえてご紹介したいと思います。

依存症に注目した背景

CLACKで支援する高校生の中に、SNSやスマートフォンの使い過ぎによって学業に支障が出たり、生活リズムを乱したりしてしまうケースを実際に目にしたことがきっかけでした。

たとえば、夜更かしが増えて朝起きられなくなり、学校に行けなくなる生徒が出てくるなど、日常生活に支障をきたしている事例を通じて、その深刻さを痛感したのです。こうした状況が続くとメンタルヘルスにも影響が及ぶため、依存症の問題を学び、早期にサポートする必要性を強く感じました。

また、高校生は心身ともに大きく成長する時期であるからこそ、何かに強くのめり込みやすいという特性があります。とくにネットやゲームなどは手軽にアクセスできる分、コントロールが難しくなりがちで、気づいたら依存的に使い続けているケースが少なくありません。

依存症とは何か?どんなものがあるのか?

割とよく聞くのは、薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存、タバコ依存(ニコチン依存)あたりでしょうか。

「依存症入門」ではそれらに加えて、中高生に近年増えている、カフェイン中毒やゲーム中毒、摂食障害、自傷行為、市販薬の過剰摂取(オーバードーズ)などについてもエピソードベースでわかりやすく紹介してくれています。

本の中では、依存症について、以下のように噛み砕いた説明があります。

依存とは、いってみれば何かに「ハマる」ことです。覚せい剤やギャンブルでなくとも、エナジードリンクにハマったり、ゲームにハマったり、SNSにハマったり、スイーツにハマったり。みなさんも何かにハマった経験、あるのではないでしょうか?ただ、中にはその「ハマる」が度を越してしまう人がいるわけです。

「依存症入門」松本俊彦 著 

そして依存症は、「脳がハイジャックされた状態」と表現されています。脳内の報酬系であるドーパミンによる快感は、度を越してしまうと本人の意志では抗えないものになってしまうこともあるようです。依存症について非常にわかりやすい形で紹介されているなと感じました。

依存症になりやすい人とそうじゃない人

僕自身、以前仕事の関係で発達検査を受けたときに、平均よりもドーパミンによる影響を受けやすいという結果が出ました。

よく心理学実験で例として挙げられる”マシュマロテスト”では、間違いなく「マシュマロを食べるのをガマンできない」タイプの子どもでしょう。

本を読み進めていく中で、僕自身がこれまで出会ったことがある人や芸能人などで依存症になっている人とそうじゃない人の違いは何なのだろうという疑問が湧きました。

すると、本の中ではこのような説明がありました。

薬物によるドーパミンを体験しても、その快感にそれほどの魅力を感じない人がいます。 それは、これまでの人生で天然のドーパミンの心地よさをたくさん体験した人です。

子どもの頃からいっぱいほめられて育ってきた人は、薬物の力で得る快感よりも、しかるべき苦労のプロセスを経て人から認められるほうがいいな、と思えるのです。ところが、人からほめられたり認められたりした経験があまりなく、何をやってもダメ出しをされてきた人は、天然のドーパミンの心地よさを十分に体験していません。

依存症になりやすいか、なりにくいかには個人差があり、その違いが生じる要因の一つは、幼少期の経験や育ってきた環境にあるということです。実際、薬物を乱用する若者には、親から虐待を受けたり学校でいじめを受けたりしたことのある人の割合が高いことが明らかになっています。

また、大人になってから薬物依存症になった人の中にも、子ども時代に親から隣られていた、ほめられたことなどなかった、全くかまってもらえなかった、壮絶ないじめにあっていた、などの経験を持つ人が高い確率で存在します。

「依存症入門」松本俊彦 著

おそらく、決して恵まれた環境ではなかった僕が依存症に陥らずに済んだのは、勉強や課外活動で得た成功体験があったからではないでしょうか。一方で、褒められる経験や認められる経験がほとんどないまま大人になってしまった人というのは確実に存在し、その立場を想像するだけで辛い気分になります。

行為への依存

10代に見られる行為依存として、「窃盗癖」もあげておきます。万引きなどの盗みをくり返してしまうものです。窃盗癖の人は、それがほしくて盗むわけではありませんし、買うお金がないわけでもありません。

人の目をかいくぐり、緊張感が高まる中、盗みをやってのける。そして、誰にも見つかることなく店の外へ出たときの解放感。こうしたプロセスに引きつけられているのです。

「依存症入門」松本俊彦 著

中学時代に仲が良かった友人がこれに近い状況でした。中学卒業後は別の高校に進学したのですが、万引きを定期的にしているという噂を耳にするようになったのです。

彼自身、ひとり親家庭で経済的に余裕のある家庭ではありませんでしたが、不良などとは程遠い感じだったので、なぜやるのか周りもよくわかりませんでした。

周りの友人から「さすがに辞めとけよ」と注意されてもなかなか辞められなかったようです。(結局、その後は無事に辞めることができ、今は立派な社会人になっています)

また、本の中で、ギャンブル依存についても、お金に困っている人ではなく、表面的には恵まれている人が多いと書かれています。

ギャンブル依存症になる人は、大抵、表面的には恵まれています。有名大学に通っていたり、仕事がうまくいっていたり、友達もちゃんといたり。でも、人の心は外からはわからないものです。心のどこかに「こんなはずじゃない」という思いがあって、それが「一発逆転してやる」という発想に重なるのではないでしょうか

「依存症入門」松本俊彦 著

自傷と自殺

様々な困難を抱える子どもと接していると、自傷行為や希死念慮を感じさせる発言、行動を取る子と接する場面もときどきあります。

そうした背景にはどんな気持ちがあるのでしょうか?また、自殺につながる行為は自傷行為の延長上にあるのでしょうか?本の中では次のように書かれていました。

自傷行為のことを「心の痛みを体の痛みに置き換えている」と表現する人もいます。自分ではコントロールすることはおろか説明することすらできない心の痛みを、目に見える傷に置き換える。(中略)そういう意味では、自傷することにもメリットがあるといえます。たった一人で手に負えないほどの苦痛に耐えている人が、今、この瞬間を乗り越えるための手段なのです。

自傷と自殺は違います。自傷は「自殺以外の目的から、自分の体を傷つける行為」です。ときどき、自傷する人のことを「どうせ死ぬ気もないくせに」などと批判する人がいますけど、あながち間違っていません。自傷する人は「このくらいなら死なないであろう」と考えて、その行為をしています。
だって、「死ぬため」ではなく、死にたいくらいつらい今を「生き延びるため」なのですから。

「依存症入門」松本俊彦 著

リストカットを始めとした自傷行為について、正直行う人の気持ちを理解できずにいました。しかし、この本を読む中で、どうして自傷行為をしてしまうのかが、少しだけわかりました。

自傷行為にいたってしまう要因には本人の複雑な事情が絡んでいることが多いです。周りで関わる人は安易に行為自体を否定せず、気付いた時点で専門家にも相談しながら「どうすれば本人にとって自傷行為をしなくてもよくなるか」を本人と一緒に考えられるといいのかなと思います。

さいごに 〜大人や支援者を頼ることについて〜

薬物やアルコールなどの依存症に苦しむ女性たちの回復と、社会的な自立を支援する施設を運営する上岡陽江さんが書いた「生きのびるための犯罪(みち)」という本に、次のような一節があります。

子どもとして守られた、という経験の蓄積がなければ、「信頼」や「安全」、まして(人権(仮))ということばを、リアリティをもって理解することや感覚としてわかることは、とてもむずかしいんじゃないかと。(中略) そういうことばにどれだけリアリティがあるのかは、自分が大切にされた回数とも関係あるんじゃないかという意見も出た。

「生きのびるための犯罪(みち)」上岡陽江 著

僕自身の経験を振り返っても、高校時代は自分が父子家庭であること、家にお金がなくて自分で進学費用を準備する必要があることを同級生に話せませんでした。

また、周りに大学生や働いてる大人との接点が生活圏になく、大人を頼るという選択肢がありませんでした。学校の先生のことを信用できず、そのせいで誤解され、心無い発言をされてしまうことも多かったです。

そもそも誰かを頼るというのは、それまでの人生で誰かに頼って、少しでも良いことがあった経験がないと難しいなと思います。

なので、自分の生活圏から一歩踏み出してCLACKの拠点に来てくれた中高生に対して、支援を受けて少しでもよかったという経験、自分を否定しない大人もいるということを感じてもらえるようにしたいと思っています。

◇ ◇ ◇

今回の学びを経て、僕はCLACKで関わる中高生たちが、依存症になったり、闇バイトといったことに手を染めずに済むよう、できることはしていきたいと改めて思いました。

その一方で、彼らがその世界を遠ざけるためには、社会全体がこれらの問題について知識を深め、適切な対応を考える必要があります。

そのために学び続けないといけない。そして、その学びを共有することで、誰かの気づきのきっかけになり、少しでも支援の輪を広げる一助になればと願っています。


〜次回 闇バイト編に続く〜


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