貧しい人びとは幸いである
エッセンシャルワーカーとブルシット・ジョブをめぐる議論を見ていると、この聖書の言葉を思い起こし、そして現代的なリアリティを帯びる。
「貧しい人びとは幸いである」(ルカによる福音書6章20節)
そして、この言葉が続く。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイによる福音書19章23-24節)
エッセンシャルワーカーは幸いである。コロナ禍では感染リスクも高いし、金銭的にも報われないが、人の役に立つことが実感できる。
ブルシットジョブ従事者は不幸である。金銭的には報われるケースが多いし、安全な環境で働くことができるが、意味が感じられない社内営業やペーパーワーク、パワーポイントだけの仕事が多くて、人の役に立つことが実感できない。平たく言うとお客さんに「ありがとう」と言ってもらえない。
『ブルシット・ジョブ』の著者デヴィッド・グレーバーは、単純な階級闘争を煽っているわけではなくて、むしろブルシットジョブ従事者の方が精神的な病に冒されている分、手放せば救いに近づきやすいと諭しているような記述が見える。
グレーバーは処方箋や具体的な政策を提供するわけではないと言っているが、ベーシックインカムの提言をしている。
ブルシットジョブ従事者は、ブルシットジョブを手放してそのままエッセンシャルワークに就くかというと給与水準が大きく下がるため、それほど容易な選択ではないだろう。
ここからは私の意見であるが、ここに両者共闘の可能性がある。つまり、エッセンシャルワーカーはベーシックインカムが上積みされれば生活が楽になるし、ブルシットジョブ従事者は今の仕事を捨ててエッセンシャルワーカーに転職しても、ベーシックインカムの上積みがあれば生活水準がそれほど大きく落ち込まなくて済む。
まさに「貧しい人びとは幸いである」。つまり、ベーシックインカムを素直に求めるようになり、社会からブルシットジョブが消滅する可能性を引き起こすことが出来る可能性があふれているからである。
そして、ケインズが予言したように、週15時間労働の世界が到来するであろう。