徳倫理学:マッキンタイア『美徳なき時代』から考える「コミュニティ」のケーススタディ2~ビジネスへの視覚(7)~
前回の記事では、徳倫理学のケーススタディとして、富山県朝日町における100世帯ほどの集落の実践を取り上げました。ファンドを介在させて、その集落の水道インフラを維持する資金を稼ぐスキームを実現させている事例を紹介しました。
しかし、それではあまりにも小さすぎる規模なので、多くの自治体には当てはまらない事例なのではないかという疑念もあるかと思います。
興味深い記事を見つけましたので、規模を大きくしてケーススタディを勧めましょう。
この記事では、情報通信技術が発展した現代では、数百万人規模の国家でも「他者との共同」をある程度実現できるとしています。
プラトンは、ポリスが機能するための最適な規模として、市民がすべてお互いに知り合っており、またお互いにできるだけ親しくあることのできる小規模のものであるべきと主張し、その適切な数を5040人としています。
それに対して、SNSなど情報通信技術が発展した現代では、SNSの知り合いをたどると、3次隔たり先(知り合いの知り合いの知り合い)まで行けば数十万~数百万になりえます。
そして、この規模こそ、人々が共感性や想像力を働かせ、寄り添いながら共同体を形成できる最大のコミュニティと解することも可能です。成熟した民主主義で知られる北欧諸国や、感染症対策で目覚ましい成果を上げた台湾やニュージーランドがその規模です。
その点では、確かに上記の記事で言われるように、百万人規模の国家でも「他者との共同」をある程度実現できると考えることは可能です。
マッキンタイアの観点にある「歴史や伝統との共同」という点では、少しずれてくるかもしれませんが、他者への想像力や「共同善」という点では重なるところも多いと思います。
小規模集落の密な人間関係とは少し距離を保って、他者との共同を図ることも模索する必要があると思いますので、その点ではとても参考になる記事でしたので紹介しました。
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