徳倫理学:マッキンタイア『美徳なき時代』から考える「伝統」~ビジネスへの視覚(5)~
前回までの記事と異なり、ここからはアリストテレスというよりはマッキンタイアの所論となります。
カントの義務論ではきれいごとの形式主義になるため、その反発として「情緒主義」が発生することを前回お話しました。いわば本音と建前のような二項対立は現代でも、PC(ポリティカル・コレクトネス、政治的正しさ)の問題においてくすぶっています。
それは倫理の座が個人の良心に囲い込まれたために起こった現象であるとマッキンタイアは見立てています。その代替案として、「共同体における善」を倫理の座に据えようと提案していることは、前々回の記事に書きました。
共同体における善をどのように再構築したらいいのか、マッキンタイアは「伝統」に見出そうとしています。
彼によれば、ノスタルジーで古き良き時代を懐かしむのとは異なり、先人との共同作業を行うということのようです。これには、カントの義務論への批判意識があります。つまり、時間と空間を超越した普遍的な道徳法則への批判です。
倫理を地に足のついたものとするために、他者との共同による「共通善」を探るとともに、歴史や伝統との共同を強調しています。
さらに、マッキンタイアが私たちに身近な存在たらしめているのは、彼がナショナリズムを否定していて、小規模なローカルなコミュニティの可能性を模索しているところです。
この文脈であれば、他者との共同による「共通善」を探るとともに、歴史や伝統との共同というものが日本人である私たちにもアクセスしやすくなります。そして、ビジネスへの応用ということにも考えが及びやすくなります。
マッキンタイアは倫理学の泰斗ではありますが、具体的な実践という点ではそれほど意義のある提案をしているようには見えません。
そこで、次回はマッキンタイアを離れて具体的なケーススタディをしてみましょう。
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