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機械設計者は『リアリティ+』の邦訳刊行にこう思う
バーチャルリアリティを哲学的に検証した『リアリティ+』の邦訳が刊行された。
上下巻に分冊されており、一冊になっていた原著と比べると経済的ではないが、私は原著はkindleでしか読んでいないので、出版界への貢献の意味を込めて購入した。昨年、私は原著のサマリーをまとめて第3章まで進めていたが滞ってしまっていたので、この度邦訳を手に入れて、第4章からサマリーを進めていきたいと思う。
昨年進めていたサマリー
現場の設計者としての感想
チャーマーズの唱えていた内容の中で最も印象的だったのは、バーチャル現実は物理現実よりも純粋な現実であるというキーフレーズである。現場の一機械設計者として、この主張は妥当だと思う。
というのも、現場は物理現実そのものであるが、機械設計者はこの物理的現実に対して、バーチャルなCADという道具を使って日々格闘している。工場という現場は文字通りのノイズにあふれ、口頭でのコミュニケーションを取ることも困難である。現場の生産技術の担当者と、現場でものを見ながら、図面を見せながら何とか意思の疎通を図る。
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現場は重量物を扱い、はたまた灼熱の環境の中で危険物を扱い、あちらからこちらへと移動して、アセンブリしたり穴明けを行ったり、成形をしたりしている。市場競争に勝つためには、その営みをできる限り安全性を高めて効率化しなければないが、設備投資を行って機械を導入することでその改善を図る。私はその営みに機械設計を通して参与しているわけである。
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その機械設計という行為から痛感するのだが、現場は不純物の集積で設計者の意図から外れることがしばしば起こる。というか、ほとんどが意図通りにならない。意図に合致させるために日々大変な労苦を要する。
「バーチャル現実は物理現実よりも純粋な現実である」というキーフレーズは、実にしっくりくるのである。チャーマーズは「私たちは人為的に設計されたコンピュータ・シミュレーションの世界の中に今もいるし、これまでもずっといた」と仮説を唱えるが、まさにその通りだと思う。
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私たちは文明社会の中に暮らしているが、それは人為的に設計されたインフラ(物理的・社会的)の上で暮らしているということと同じことなので、「バーチャル現実は物理現実よりも純粋な現実である」から逃れられる人は誰もいないであろう。
物理現実に対するバーチャル現実の純粋性とは
しばしばバーチャル現実を哲学的に考える上で、『マトリックス』の映画が俎上に上げられる。深く考えるとその次元まで突き詰めることは確かに必要だが、そこまで行かなくても、設計という営みから物理現実に対するバーチャル現実の純粋性を容易に理解することができるわけである。
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もちろん、物理現実の純粋性が低いからといってそれが存在しないわけではない。バーチャル現実の方が純粋性が高いのは、具体的には一度設計した図面は容易に複製が可能であるのに対して、それを物理的に具現化するためには様々な摩擦力や反力が発生して、詳細を眺めればそれぞれ微妙に異なるということから理解ができる。
実際に機械を製作すると同じ図面から複数製作したとしても、ミクロン台で見ればかなり異なりがあるし、そこからはめ合いが微妙に狂うと微調整が必要になってくる。物理現実の不純さに、機械設計者はいつも苛立ちを覚えている。
バーチャル現実(VR)の発展という福音
コンピュータが発達するにつれてVRシミュレーションがかなり容易になっており、これが現場の技術者への負担と地球環境への負担を多いに減らしている。
従来、自動車の性能評価試験を行う際に物理的に車を衝突試験させたり、またはガソリンエンジンを物理的に回しっぱなしにしたりするケースが圧倒的に多かったが、それがコンピュータ・シミュレーションを駆使することでかなり代替できるようになっている。
バーチャル現実(VR)の進展は、人間を非人間的にする可能性を危惧するケースが多いが、少なくとも物理現実を制御する上ではとても有益なケースが多いし、これまでの文明史において人類は設計というバーチャル現実の恩恵を大いに受けてきたわけである。
メタバースやVRの議論が地に足のついたものにならないのは、設計というバーチャル現実への理解が覚束ないからではないかと、現場の一技術者として強く訴えたい。そのためにも、邦訳のサマリーをまとめていきたい。