
哲学エンジニアのライフヒストリー(11)~沖縄へ旅立つ~
ムーブメントが起こりつつあった
1999年1月初め、私の小さなホームページがにわかに注目を集め始めていた。ヤフーディレクトリへの掲載が大きな効果を発揮していた。それまではアクセス数はごく僅かだったのに、掲載後は毎日のようにメールが届くようになり、まるで小さなバズ現象が起きているようだった。メールの多くは、私のうつ病体験記に共感したり、自らの思いを共有したりする内容だった。画面越しに届く声に驚きと嬉しさを覚え、どこか孤独が癒されていくようだった。
この苦しみは、自分一人だけのものではない。
この感覚は私の体験が個別のものではなく、ある種の時代精神というか、共通感覚というか、大きなムーブメントを体感し始めていた。今にして振り返れば、1998年は初めて自殺者数が国内で3万人を突破した異様な年であった。私のようなうつ病の苦しみを淡々と表現した言葉が、どこかで渇望されていたのかもしれない。
思わぬ出会い
その中でも、1月末に届いた1通のメールが、私の人生に大きな転機をもたらした。それは沖縄に住む女性からのメールだった。きっかけは、私がKiroroについて綴った文章。Kiroroの曲に救われた経験を素直に書いた内容に惹かれてメールを送ってくれたのだ。彼女はKiroroと同じ読谷村に住んでおり、それが彼女にとっても親近感を覚えるポイントだったらしい。
彼女のメールは、単なる感想を超えたもので、うつ病体験記への共感も込められていた。自分もメンタルの問題を抱えており、リストカットが絶えない生活を送っていることを率直に打ち明けてくれた。その正直さに私は驚き、同時に強く惹かれた。彼女の言葉には、私が書いた文章と同じような痛みと、それでも前を向こうとするかすかな希望が込められているように感じた。
私たちはその後、メールを交換するようになった。彼女の話を聞き、自分の話を伝え、まるで互いの存在を支え合うような感覚が芽生えた。そして、お互いの写真を交換し合った。当時は写メール登場直前で、電子メールで写真を交換する手間が多いだけでなく、画像の送付は大きな料金が発生してしまった。アナログの焼き増しした写真を郵送した方が安上がりであった。

メンタルを病んでいるとは思えない、小麦色に焼けた彼女の笑顔は健康的にすら見えた。彼女の言葉はいつも素直で優しく、次第に私は彼女に好感を持つようになっていった。そしてふと、「彼女に会いたい」という思いが胸をよぎるようになった。
それから約1か月間、彼女とのメール交換が続いた。彼女のことをもっと知りたい、一度直接会って話がしたいという気持ちは次第に強まり、ついに決断した。まだ寒さの残る3月下旬、私は京都を旅立ち、関西国際空港から那覇空港行きのフライトに乗った。彼女に会いに行くため、沖縄への旅が始まったのだ。