スウェーデンのビジネススクールで、リフレクションカルチャーから学んだこと
前回の記事では、Way Weekの概要について書きました。
今回はもう少し具体的な話と、そこから学んだことについて、書いてみます。個人的にはいろいろな観点から学びが多い一週間で、ここ数年でも一番濃かった一週間だったように思います。
リフレクションを通じた自分との対話、自分を通じたチームとの対話
Hyper Islandでは、リフレクションに重きが置かれています。毎日リフレクションをする時間がありました。
ほんとうにざっくり言ってしまえば、Way Weekは『グループワークとリフレクション、そのフィードバックの繰り返し』だけとも言えます。
リフレクションの説明を引用すると、下記のような感じらしいです。
日本語の本では、下記でわかりやすく説明されています。私もすごく好きな本です。
Way Weekの間は、今日はどんなことを感じたのか、昨日はどんなことを感じたのか、それはどんな意味が自分にとってあるのか、などとにかくリフレクションを行い、それをみんなと共有する、ということに大きくフォーカスが当たっていたような感覚があります。
特に慣れないうちは、自分と徹底的に向き合わないといけない不快感がありました。
これらをなんとなくするだけではなく、他の人とシェアしないといけない環境に置かれたことで、取り組むモチベーションも変わりましたし、同時に現象としては同じことでも個々人の属している文化によって感じ方が全然違う、ということはおおきな学びでした。
グループワークも毎日2-3回ぐらいありましたが、このリフレクションの文化から来るものなのか『んで、君はどう思っていて、どうしたいの?』という議論になることが多かったように思います。
それは全く攻撃的な感じではなく、純粋に個々人の意見を聞きたいという個々人への興味と、そこからくる柔らかい雰囲気で終始進んでいました。
ちなみに休み時間であっても、個々人の感じたことについてカジュアルに会話する機会は多くあり、その会話のなかから勉強になったこともたくさんありました。(ちなみに福島の話とかもいろいろ聞かれて、アワワワワってなったよ)
細かいHyper Islandのメソッドなどについては、ここにまとまっています。このうちのいくつかは授業のなかでも扱いました。
細かく書くと無限に書けてしまうので、ここからは端的に私がこのWay Weekで学んだことについてここから述べてみます。
文化を作る、強制と自発のバランス
これは個人的にも面白かった体験ですが、文化は勝手に作られるものではなく、強制することで生まれるものもある、ということを学びました。
というのも、自分の考えをシェアすることや、他の人にフィードバックをする、というある意味教室のなかでの「強制」から始まった活動が、数回繰り返したあとでその「強制」がなくても、グループ間で自発的に発生するようになるという現象がいろいろなところで、いろいろなタイミングで見られました。
「実はあのとき私はこう思ってたんだよね」とか「あなたのこういう行動にすごく感謝していて〜」という会話は4日目・5日目からものすごく増えた印象です。
「オープンなカルチャーを作ろう!」と思ったら、まずはオープンに何かをする、ということを強制することが必要だし、「心理的安全性を〜」という文化を作りたかったら、何かを気軽に言い合うことを強制することがまずは大事なんじゃないかな、と感じました。
文化にも慣れみたいなものがあって、その慣れが生まれる前に理想だけ追っていても意味がないんだろうな、と。
リーダーシップの前にまずは信頼を。自分がチームに貢献できる範囲のことを愚直にやれ
私は、英語のディスカッションをリードする自信がなかったので、他の部分でどうにか貢献できれば、という思いで小さい小さいことを積み重ねていました。
みんなにポストイットを配る、とかタイムコントロールをする、とか話してなさそうな人がいたら、話を振ってみる、とかです。
ちなみにこの細かい機微のようなものは、割と日本人特有のものらしく。他のメンバーから「お前よくそんなこと気づくな!?」「昨日家に帰ってから、妻に日本人すごいんだよってめっちゃ話しちゃったよ!」などなどの反響があったし、その細かい行動を通して、「Nozomuは自分のやり方でグループに貢献しようとしてくれてるんだな」ってみんなが思ってくれたようです。
特に初日は、個々人の能力やバックグラウンド、性格などの情報がほとんどないなかから、多くの人がリーダーとしてのチームのコントロールをとろうとしている感覚が少なくとも私にはありました。
ただ、信頼がないなかでリーダーシップをとるのは相当難しく、結局はその前の人間関係や信頼関係をどう自分のやりかたで構築できるのか、ということが大事だったなと今振り返って思います。その信頼を築くうえで、自分ができる範囲のことを愚直にやるということはよかったなと思います。
そして「チームのために動こうとしている」ということ自体が個々人の間の信頼を作ります。たとえ言語に不安があっても、それは言い訳にならないな、といい意味で学びました。
結局は自分がどう思うか、という素地が全てだし、それに使う時間も大事
個々人の意見や感情をグループ内でシェアする時間は多いのですが、それをグループとしてまとめるようなことはWay Weekでは決してありませんでした。
つまりいろいろな人の考え方や経験は大量にインプットできるものの、結局そこから何を得たのか、それをどう生かしていきたいのかは自分でまとめておかないと、頭のなかが他の人の意見で溢れてしまうような感覚が続きます。
「自分としてはどう結論づけるのか」「どう活かしていきたいのか、それはなぜなのか」を自分でコントロールするために、その過程で自分自身と深く向き合う必要があり、それは5日間の間で掴めるような掴めないような、なんともふわふわした不快な気持ちがずっとありました。
ただ、やはり個々人の話を深く紐解いていくと、結局「なぜそう思っているのか?」は大きくいままでの出生や経験や国の文化に依っています。つまり、そこを他人とのディスカッションを通じて、紐解いてく作業も同時に重要で、他人の意見をもらいながら、自分自身を見つめる、という感覚がありました。
小さいぷちカルチャーショック
もちろん、いろいろなカルチャーショックはありました。
ぜんっぜん何もかもが時間通りに始まらない。終わらない。
授業は9時からなのに、だいたいはじまるの10分か15分か、という感じだし、「5分休憩しようぜー!」はだいたい15分休憩ぐらいになる。
途中にスイス人に「私からすると違和感なんだけど・・・?」って伝えたら、「俺もおかしいとは思うが、これがこのクラスだからしょうがない」っていう返事でした。感覚が同じ人はいるけど、許容度は大きく違う。
飲み会がすぐ終わる。1−2杯飲んでみんな勝手に帰る。
「これから飲みにいく人ー!?」って企画してくれる人も、1-2杯ですぐ帰る。この文化は気持ちよかった。個々人のタイミングで個々人で帰るというのはなんか、日本文化的ではなく合理的で、すごく羨ましく思いました。
椅子に靴のまま立つ。チョコレートが床に置かれる
日本人は靴を履いているかいないか、でだいぶ感覚が変わるんだな、ということも新たな発見でした。あとは床との距離?
みんな高いところにポスターを貼るときは靴を履いたまま椅子に乗るし、お土産のチョコレートとかは机ではなく床に(もちろん直接ではないけど)置かれます。
日本人感覚からすると変なんだよね、って飲み会のついでにメンバーに言ったら次の日から机の上にチョコレートが置かれるようになっていました。
ありがとう、Sarah。
授業や、そのための準備は割と適当
その日に何をやるか、どんな資料を配布するか(デジタル的な意味でも)は、結構日本感覚からすると適当です。
すでにWay Weekが終わって数日が経っていますが、授業で使われたスライドは共有されていません。笑
また数人に「割と適当に進んでるよね?」と聞いたところ同じような感想を持っているメンバーは多かったように感じます。多くが講師のファシリテーション能力に依っているというか……?
まあまあ、こんな小さいことを述べているとずっと終わらないので、一旦まとめるとして。
振り返ってみても、日本ではなかなか得られない経験をギュッと一週間で体験できた感覚が非常に強いです。ここからは実際に課題がでたり、論文を書いたり……という大学院生っぽいことも始まるわけですが、すでに一歩踏み出してよかったな、という感覚があります。
Hyper Islandの体験記については上記のマガジンにまとめてますので、よろしければフォローしてくださいー!
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