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「Equinox 2023 秋」に寄せて(2023年12月執筆)

春分の日も、秋分の日も、特にこれまで意識したことはなかったけれど今年は違った、というのもその二日間にはSame But Different(Equinox)というパフォーマンスイベントが開催されていたからで、私はたまたま前橋で出会った村田峰紀さんから教えてもらって、春分の日の回を見に行った。

春会場は東京北区の岩淵水門で、自宅から近いので散歩の心持ちで行った、その日は五分咲き、桜は満開にはほど遠かったが、その後の天気を知っている今からすると絶好のお花見日和で、秋分の日の藝大取手キャンパスではもちろん桜は咲いていなかったけれど、工事中の大学美術館を尻目に左折し、校舎までしばらくまっすぐ伸びる道のりには赤い花(おそらく彼岸花)が群生していた…と言っても一面真っ赤だったわけではなく、緑の下草に走る切れ目のように生えていた。

橋を渡るとロータリーで、平日ならここまでバスが来るらしくバス停がある、しかしこの日は土曜日だったので私と美秋さんとハルさん、たまたま取手駅で合流できた三人は校門から歩きでここまで来て、さらにロータリーで、先に来ていたガムゼさんと合流した。

美秋さんとガムゼさん(そして後ほど登場する武谷さん)は今回のコーディネーターで、ハルさんは撮影者、対して私はただ見に来た人だ、しかしこうして名前がなんとなくお互いに分かるのは、ガムゼさんによって作成された参加者名簿が前もって共有されていたからで、Equinox、特に今回のものではパフォーマンスをやる人も見る人も、撮影する人も等しく参加者として扱われた。

前回は、お花見をする人も、ロードバイクを駆る人も、フクロウの散歩をする人もいる賑やかでオープンな場所だったが、今回は、用事がないとまず来ないような郊外のキャンパスだし、そもそも広く告知はされていない、だからEquinoxを知っている時点で何かしらの縁があった、ましてや参加するなら尚更で、春分の日がゲリラだとすれば、今回の秋分の日はオフ会みたいなものだ(参加したことはないけれど)。

美秋さんたちが準備を進める中、私は地図を借りて散歩した、今いる集合場所の、多目的ルームみたいな部屋は「専門教育棟」にあって、《瀕死の奴隷》とかが立つエントランスホールを左に横切ればすぐに出られる、階段を上がるとピロティ式の開けた地階に、資材や何やらが隅に寄せ置かれている「共通工房棟」がすぐ目の前で、その半ばあたりで左折したらちょうどいらした藤本さんとすれ違った。

階段をまた上れば視界は広がって、左手には“大階段”が、斜め右には先ほど通った(今日は)一日バスの来ないバス停が見える、このあたりは大体、駐車場とロータリーのようだが、ヤギの生活スペースもあって、柵向こうから一頭が、口をもぐもぐさせながら見ている。

“大階段”の下から、教育棟の裏あたりまで、ロータリー周辺をざっくり時計回りに巡る、こうして散歩をしているのは暇だから、でもあるが必要性もあって、後ほどみんなでパフォーマンス(をやる/見る/撮る…)エリアを考えるためだ、メンバーが集まってから(私にとっては)もう一度キャンパスを、今度は教育棟の裏から逆に巡って、武谷さんは、そのあたりの草むらから引き抜いたのか、それとも持参したのか、根にまだ土が付いた植物をバス停の脇に置いた、ヤギもちょうど散歩なのか食事なのか三頭ふらふらしていて、袋から豆をザァァ…と出すみたいにフンをしている。

戻ってからはお昼を食べながら話し合いで、まず誰がパフォーマンスをやるのか、そしてどこでやるのかが地図上に集約されていく、見る人も撮る人もそれを覚えて本番に備える、奥まった場所でやるなら全員で移動しよう…みたいな話も出て、虫嫌いな私はそれを危惧したが結局はなくて、ロータリー周辺で展開することになった、パフォーマンスをやるのは七名で、撮影するのがニ名、そして見るのが私を入れて六人の合わせて十五人だ(十一月には全く別のイベント、あるいは一日限りの展示に参加したがそれも作家を含め二〇人弱で、このくらいの規模感に宿る何かがあるのかもしれない)。

まずは守尾さんが、“大階段”の上、教育棟の二階と工房棟の屋上を繋ぐように開けた場所、ちょうど客席みたいにチョコレート色の板敷きがL字に走っていて、一段低くなっているコンクリート部分が舞台みたいなところでやることになって、全員でそこまでぞろぞろと移動する。腰壁を背もたれに座ると、守尾さんがヘチマを、まるごと乾燥させて海綿状にしたものを持って登場して、ヘタの方に通した糸を摘まみ、“舞台”にヘチマをちょんと落とす。

軽くバウンドしたヘチマは倒れこんで、それを見届けた守尾さんも同じように、ヘチマの傍らに身を横たえる、そんな具合にヘチマと自身の背骨を同期させる、あるいは外部化していて、床にヘチマが触れるたびに、カサッ、と微かな音が立つ。

立ちあがる時もゆっくり、ヘチマを立たせる、というよりヘチマが立つから身体も立つ、といった風情で立ち上がって、ヘチマを擦りながら移動する時に限らず守尾さんの背骨は見えないけれど、ヘチマを通して背骨が見えるようだ。

今度はヘチマと一緒にゆっくり、倒れこもうと片足で徐々に重心を落としていって、背骨だけでなく、骨盤を要に繋がった足の骨(大腿骨?)までが1本の軸となったようだ、舞踏のワークショップに参加した時、頭を糸で吊られたイメージで立って…みたいなことを言われたけれど、ヘチマの糸を持つ手、その腕はおそらく肩甲骨から背骨へ、筋繊維で縫い止められるように繋がっていて、そうして背骨から首~頭へと視線を上げた先に、“糸”が伸びていたのかもしれない。

守尾さんのパフォーマンスが終わったから、またみんなでぞろぞろ揃って“大階段”を降りていると降りきった人たちがこちらを見ている、振り返ると武谷さんが、斜め上に突き出した両手でゴザを垂らし持っていて、それは足元まですっぽり覆い隠すくらい長い。そのままで、顔もまっすぐ正面を見据えて既に数段、階段を降りたところのようで、私は途中の踊り場でそれを見ている、その二段くらい下で、たしかフィンさんが見ていて、数人が階段の下から、美秋さんたちはその側を降りてくる。

武谷さんはゆっくりと降りてくるが、足元には黒いゴムシートが絨毯みたいに敷かれていてそれは数段ずつ足で転がされる、そうして流れ落ちたシートを左横から見ると反転した “ ∫ ” が並んでいるみたいで、ちょうど私が立っている踊り場のあたりで途切れた。

武谷さんはそのままゆっくり階段を降りて、降りきってもまっすぐ進むから黄色いサインタワーにぶつかるが倒してなお進む、行先には同じく黄色いガードポールがあって、そこにはずた袋から生え伸びる植物が見える(武谷さんが置いたのだろう)、武谷さんと植物の間には、サインタワーが倒れる瞬間をガムゼさんが真正面から撮ろうとしていて、バタンッ!という音に藤本さんが振り向く。

ガードポールの、傍らに置かれた植物をぐるっと武谷さんは回った…ようだがあまりはっきりしないのはよそ見をしていたからで、“大階段”の向こう、専門教育棟と隣のメディア教育棟を2~3階の高さで結ぶ連絡通路には赤松さんがいて、そこから垂れ幕?を降ろそうとしているのを駆けつけた守尾さんが手伝って白地にピンクの横断幕がなびく。

…のは少し後で、その間に武谷さんはガードポールを越えロータリーの方へ向かっているし、美秋さんと朱里さんもその近く、バス停の少し離れたあたりにピクニックシートを用意している、都路さんも、ロータリーの方へ青い、背もたれと座面がゆるやかなカーブを描いた椅子を片手に向かっていて、ここからは同時並行で進む。

だからすべてを見ることは出来ない、正確に言えば出来はするけど、一望したら遠い、だからふらふらと、武谷さんがバス停のベンチに寝そべるところを、都路さんがロータリー中央の草むらに入っていくところに近づいては離れてを繰り返すその中で、なびく“横断幕”に気がついた。

中央にショッキングピンクの、角の丸い四角?があって、そこから腕のように伸びた2本の細い線から、一段淡いピンクの円がそれぞれひとつずつ実っている…のが何なのかは、草むら越しに小さく見えるその段階では分からなかったけれど、暫くして降りてきた時に子宮らしいことがわかった。

作者である赤松さんは、守尾さん、藤本さん、フィンさんと広げた幕の四隅を持ってゆるゆると、ロータリーに沿って巡っていて、その近くのバス停では、ベンチに寝そべった武谷さんが土の付いたままの植物を顔から生やしていたし、ロータリー中央の“島”では都路さんが青い椅子を傍らに置いて佇んでいた、そこに美秋さんが彼岸花を二本渡しに行って、受け取った都路さんはそのままロータリー向こうの坂を下っていく。

戻ってきた都路さんはたしかこの時から長い枝を持っていて、ロータリーの島でその枝に彼岸花を、花が下を向くように、二本が釣り合う天秤になるように糸で吊りはじめて、その島の回りを武谷さんは、同じく長い裸枝を掲げながら軽やかに走りはじめる。

武谷さんは前回のEquinoxにも参加していて、その時も束ねた枝を聖火のように掲げて川沿いの道をゆっくりと歩いていた、島の周囲を走るのを止め、島の中を横切りはじめた時の所作はその時と似ていて、都路さんは変わらず枝に糸を結んでいる、その様子を赤井さんが植え込みの縁に座って見ている。

作品をはためかせながら行進する四人が通りすぎたバス停には武谷さんが残した菰と土と植物が散っていて、後日共有してもらった記録映像を見たら武谷さんは青々した葉っぱを食べていた、私はそれを見逃していて、こうして書いていても色々なものを取り零している。ロータリーには武谷さんが使ったと思しき小ぶりなスコップが放られていて、その後、たまたま通った自動車のタイヤがそのすぐ傍らを通りすぎた。

武谷さんはまだ島の中にいて、その様子を坂内さんがずっと記録している、武谷さんが枝を一際高く掲げると、ハルさんも素早くカメラを構える、都路さんはその時、青い椅子に立って紐で吊った枝を天秤にしていたが武谷さんはそのまま伸ばした枝でゆっくりと“天秤”に触れる。

その二、三分後には都路さんはロータリーの島から出て校舎寄りの、二股になった木の下に向かって、そこで守尾さんと、天秤を持ちながら何か話している、美秋さんが大階段から、頭に載せるように小さなテーブルを持ってくるが、階段にはもう、黒いゴムシートはない。

それは武谷さんがちょっと前に持っていったからで、頭から背中へと垂らすように後ろ手でシートを地面に擦っている、そのまま木の股を、大階段からロータリー側へ乗り越えて、黒い“道”が通される、木の下では都路さんと守尾さんの作業が続いていて、どうやら木の枝から天秤を吊るそうとしている、都路さんがロープの一端を放って…枝に掛けた。

守尾さんは天秤を持って手伝っており、武谷さんは“道”を通すと振り返る、今度はその上を匍匐前進で逆走して、その間、赤松さんたちは行進を止めて作品を広げ直したりしていて、守尾さんの代わりにガムゼさんが角を持っている、そして今度は大階段の方へ向かっていって(たしか、いい風の時に撮影してほしい…みたいなことを言っているのが、風に乗って耳に届いた)、階段の中ほどで止まる、行進は止まっても、風は止まないから作品ははためき続けている。

そこに匍匐前進を終えた武谷さんが、傍らの駐輪場に停めてあった自転車と植物の入った紙袋を抱えてはためく作品の正面に来て、その前から四隅を持った四人は笑いながら武谷さんの動向を伺っている、武谷さんは自転車を横たえると植物の入った袋を両手で掲げてゆっくり上りはじめて、四人も腕を上げて応ずる。

作品の下をくぐる武谷さんが持つ袋、そこから溢れた葉が、風を受け膨らんだ作品の裏を撫でる、ゆっくり通り過ぎ二、三段上るとそのままの速さで振り返って、武谷さんは袋をかぶる、腕を下げた赤松さんたちは見ている。

袋を持ち上げたから武谷さんの頭には植物が降り注いで、落ちながら身体にも茎がひっかかっていって葉っぱまみれだ、そのまま階段に横たわった武谷さんの真上を、今度は赤松さんの作品が通り過ぎていく、階段を上りきった四人の持つ作品は、風向きが変わったのか、さっきまでは膨らんでいたのににわかに地面の方へと反って、立ち上がった武谷さんは頭の植物に手をやりながら階段を下り、横たえていた自転車に葉を巻きつけると駐輪場へと返しにいく。

そこからロータリーの方へ振り返ると、守尾さんが、都路さんの手で枝へと吊るされた“天秤”にヘチマを掛けようとしていて、都路さんは支点をずらしてバランスを取ろうとしている、視界には武谷さんがまた横切って、黄色いガードポールの足元にずっと寝かせていた枝の束を抱えて運ぶ、その間にもヘチマを二本、“秤”の左右に付け終えた守尾さんは、右手に二本、彼岸花を持っている。

その少し前から、赤松さんたちはまた作品をなびかせながらゆるゆると、ヤギの飼育スペースの方へ向かっていて、都路さんが木に登って“秤”の高さを調整している頃には、ヤギの手前のあずまや?に作品を吊るし始めていた、武谷さんは抱えていた枝を下ろしていて、車脇の水溜まりに“活け”始める。

赤松さんの作品が、舞台のようなあずまやに、緞帳みたいに掛け終わる頃には都路さんも木から下りていて、傍らの青い椅子に座って紐を引っ張っているところを収めようとする坂内さんと、スマホを向けた私が、都路さんと守尾さんを挟んで向かい合う、ハルさんは赤松さんたちの方を撮っている。

守尾さんのパフォーマンスが始まったのが大体14時半だったから、およそ1時間経って15時半を回ろうとしている、都路さんたちは“天秤”を木に吊るし終わったのか、余った紐を椅子に巻きつけ固定し姿はない、左右のヘチマが、一緒にくくりつけられた彼岸花と揺れているその向こうには“子宮”がはためいていて、その間を武谷さんはガムゼさんと話ながら横切って、そのままバス停のベンチへ向かうと敷いていた菰を巻き始める。

あずまやの前あたりまで来ると、向かい合った草むらのその一房には白いテープが巻き付けられていて、点々と“ヘアゴム”をした草を辿ると向こうにはヒキタさんがいて、白いポールや、「左右確認」と書かれた黄色いカーブミラーの“おなか”あたりにもテープを一文字に貼っていく、ロータリー向こうにも貼りに行くヒキタさんを、高田さんが腕を後ろで組みながら眺めている、坂内さんは走って追いかけ記録する。

木の方を見やると都路さんが戻ってきていて、武谷さんも、ガードポールに枝を、少し前まで水溜まりに生やしていた束を袋に戻して立て掛けている、近づいていくと、枝の葉を剪定しているその手先が見えてきて、都路さんは自分の首に、椅子に巻きつけていた紐を巻きつけている。

椅子に立った都路さんが身体を傾けるから首の紐はピンと張って、しゃがむとその分、紐のもう一端の“天秤”が引き上げられる、そのままの姿勢で、「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」…と朗読し始めたのは聞き覚えのある詩で、片手で開かれた文庫本を覗き込むと茨木のり子の『倚りかからず』(ちくま文庫)だった。

「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」まで読み終わると都路さんは地面へ降りて椅子をサイコロみたいに投げる、転がった椅子は横たわったが、その地面と平行になった背もたれへ、もたれ掛かって“座り直す”。

そしてまた朗読を始めて、都路さんはこれを繰り返している、パツッ、パツッ、パツッ…という剪定の音も続いている、武谷さんが枝を活けていた水溜まりを何気なく見ると、中央に島みたいに顔を出した石の上にも、ヒキタさんのテープが貼られてピョンと飛び出ている、その間にも椅子を置き直した都路さんが、普通に据わって朗読していて、終えると本を太ももに置いてだらんと腕を下げ目を瞑るがすぐに起きて椅子に紐を巻きつける。

晴れてはいて、都路さんが“秤”を吊るした木の影も、隣り合う工房棟の壁に落ちているが空には雲も多い、その頃に、たしか朱里さんから、サンドイッチが出来ました、と一斉に連絡があって、ピクニックシートにはすでに赤松さん、ヒキタさん、藤本さん、守尾さんが集まって食べている、朱里さんもいて、『ほんとうのリーダーのみつけかた』(梨木香歩,岩波書店)の一節を読み聞かせているが聴き手の食べているサンドイッチの中にも、オブラートに食用インクで書かれたメッセージが挟み込まれていたことを読み終えた朱里さんから教えられた誰かが、えーっ!と声を上げる。

専門教育棟へ戻ると、集合場所だった部屋では美秋さんがサンドイッチに具材を挟んでいて、途中からはずっと作ってくれていたらしい、傍らの椅子の背には “Hidden Message Sandwich by Akari and Miaki” と印字されたプリントが貼り付けられているが、この“労働”こそ私には見えていなかった。側では坂内さんがサンドイッチを切ろうとする手元を撮っている、ちょうど戻ってきた朱里さんに、チーズが苦手な旨を伝えると菜食主義のフィンさんと同じサンドイッチを作ってくれることになった、戻るついでに出来立てのサンドイッチを“食卓”へと運び、空のパックを下げつつ再度“台所”へ行くとチーズ抜きが出来ている。それをフィンさんのところへ持っていき、英語で拙く菜食主義用(そしてチーズ嫌い用)であることを伝えて遅ればせながら食べる、もうほとんどの人は食べ終わっていて、ピクニックシートからバス停のベンチにかけて緩く集っている。高田さんが飲み物とシートを勧めてくれるが、緑の芝も苦手な私は側のコンクリートに座る、藤本さんも少し離れたところに座って、“台所”から朱里さん、坂内さんと一緒に戻ってきた美秋さんはベンチに座った赤井さんと話し始める。

塗り広げたような雲、その色彩がほんのりとした黄色から薄紫へと変わる頃まで、テーブルでは賑やかに、周りの地べたでは訥々と、ベンチのあたりでは盛んに話をしながらもまったりと過ごす、そろそろ片付けましょう、と言ったのはやっぱり美秋さんだっただろうか、ぱたぱたと片付けて“大階段”の下に集合した時にはもうすっかり空も葡萄色だ、傍らの水たまりの真ん中で、小島みたいに顔を出した石の上では、仄明るく蛍光するテープが揺れていた。

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