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『私たちは猫のように集い、しばしを共にし、また散っていった ~「Equinox - Same but different 2024 秋分の日」に寄せて』

薄雲の切れ間から注ぐ、仄かに黄色がかった光に染められた水面は東京湾なのだろうか。目の前を横切る、水平線のような柵で隔てられたこちら側は青海南ふ頭公園で、

「この前はキリンみたいだったんですよ。」

と、美秋 Meerkatさんが指差した大型クレーンは、公園と隣り合う青海コンテナ埠頭にあった。“キリン”は、今やその首を水平にまで下げてコンテナを運んでおり、その金属音に、切れ切れのラジオのような、あるいは水面に雫が落ちるような音を滑り込ませているのがムラカミロキさんだった。彼はクレーンの手前に残された原っぱのあたりにいて、左手に持った拡声器から伸びたマイクを口にあてがい、ゆっくりと園内を歩き始める。
原っぱでは、観客がすでに4、5人並んで座っており、その視線の先、等間隔に並んだ対岸のクレーンを背景にEduardo Cardoso Amato(エドアルド)さんが立っていた。足元に青磁風の花瓶を置いた彼は、そこから道具を取り出しているらしい、すでに両耳や手首に赤・青・紫の、ボール大の鈴を着けていた。エドアルドさんは柵の手前の、緩やかな階段を上がったところにいたが、左奥には釣り人が糸を垂らしており、両者の間を、犬の散歩をしている人が通り過ぎつつ横目に見ていた。

草むらに踏み入る。エドアルドさんを見る観客の背後から、少し離れたところにうずくまっていた大里淳さんは、毛足の短い葉っぱ一本一本の、ツンツンとした先っぽに針で赤い糸を通していた。

顔を上げると、向こうでは武谷大介さんが、葉脈のように分かれた長い枝を掲げて歩き去っていく。まっすぐに伸びた水辺の柵と平行に遠ざかるその背中を、10メートルくらい離れつつ追いかけていた私の斜め右の階段から現れたのは、Gabriella Nataxa Garcia Gonzalez(ナターシャ)さんだった。

彼女は、ハンガーに掛けたワンピースを、両手で引きずりながら一段ずつ下りてきて、柵の手前の、青系2、3色と白とがモザイク模様を成す舗装路、ちょうど筆で一掃きしたように、そこだけ砂埃の落ちたあたりにその服を横たえる。そして靴を脱いだ。

それを、記録撮影の坂内秀成さんが階段の上から撮っており、ナターシャさんはワンピースをハンガーから外し、頭から被って重ね着する…頃には坂内さんの背後を引き返してきた武谷さんが左から右へ通り過ぎて、私の視線のさらに向こうには、集合場所だったステージめいた休憩スペースがあった。その手前の地面に、しゃがみこんだ美秋さんがチョークで何かを書いている。迂回して“ステージ”から覗き込む。

日本画の川のように、そこだけ蛇行した形に切り替わった床材の流れに沿うように「OFF LEA」というアルファベットが赤・白・ピンクで淡くレタリングされており、美秋さんが続けて描く「SH」そして少し離れた「A」の輪郭が、私を昨年の春分の日へと引き戻す。

荒川と隅田川を分かつ青水門(岩淵水門)と赤水門(旧岩淵水門)、徒歩5分ほど離れたその土手はお花見とサイクリングで賑わっており、美秋さんは、川縁でスケッチブックを開き「OFF LEASH AREA」と描いた。立て掛けられたその周辺は、ペットだけでなく、自らのリーシュ(リード)を緩めることのできる“自由領域”とひととき化したが、逆に言えば、それまでは不可視のリーシュに縛られていた。美秋さんはそれを暴いた。

顔を上げ、ステージから見渡す。真正面の柵、ナターシャさんが靴を脱いで右へと歩いていくあたりはだいたい30メートルくらい先で、首を60度くらい左に向ければ、大里さんがずっとしゃがんでいる草むらは50メートル以上離れているだろう。10人ほどの観客も、じっくりと見入ったり、話したり、あるいは私のように落ち着きなくうろうろしたりと思い思いに過ごしている。
そして、ナターシャさんと大里さん、そして2人を眺める私が描く角を、二等分する線の先に変わらずエドアルドさんはいて、ステージを下りて近寄ってみる。

いつの間にか、服のあちこちにピンでレシートを留め、頭に紅白チェッカー模様の布を巻いたエドアルドさんは、ちょうどシャボン玉を吹き終えたらしい、青緑のシャボン玉ストローを下ろした彼から泡がゆったり遠ざかって、そのひとつが対岸のクレーンと“重なる”。今度は観客ひとりひとりに近づいて何かを貼る。私の、緑のチェックシャツの左肩に貼り付けたのは、ポケモンと思しき緑の“ネコ”のシールだった。

昨年の秋分の日に、電柱や、水溜まりから小島のごとく顔を出した石…へ蛍光テープを付していったのはヒキタサエさんで、藝大取手キャンパスのあちこちに貼られたそれらは、暮れゆく中でゆっくりと仄明るくなっていった。

肩に“ネコ”を貼られた私の眼前を、またもや武谷さんが右から左へ通り過ぎる。この日、2024年9月23日の日没は17時37分だったようで、時計を見れば17時42分、ゆるりと始まったパフォーマンスもすでに30分以上経過しているが、かえって明るいのは雲間だからだ。武谷さんは右手に毛糸を巻いているようで、歩みにつれてほどかれていくその赤の先には、枝が繋がれていてカサカサと控えめな擦過音を立てている。
付いていこうと左に向き直ると、階段の下にはムラカミさんがいて、彼の発する“風切り音”は、断続的に飛び込んでくるコンテナの音と共にもはや環境そのものとなっていた。ムラカミさんも、武谷さんと同じ方向に音だけ残して去っていく。

武谷さんが階段の上を、ムラカミさんが下を歩いていくので、その真ん中あたりに伸びるスロープから上がる。ナターシャさんは、先ほどと同じく階段下、柵の手前にいて、ストンと脱いだワンピース(と靴)が小さなパラシュートのように開いたその10歩ほど向こうから、慎重に赤い、少しオレンジがかった糸を“パラシュート”めがけて伸ばしている時に、

何かが割れる音に振り返るとすでに15メートルほど離れた先の、エドアルドさんの足元には白い破片が円形に広がっていた。壺だった。

“決定的瞬間”を見逃した私が破片からその時を想像したように、観客は、同時多発的に展開されるパフォーマンスの“欠片”を拾っては繋いでいった。それは「呼び継ぎ」、すなわち別の破片同士を組み合わせる金継ぎの一技法のようだし、そもそも観客自身が、パフォーマンスを構成する欠片のひとつでもあった。

エドアルドさんが、割れた壺の前で身に付けた鈴を外している間にも原っぱの大里さんは黙々と作業を続けている。急速に薄暗くなり始めた手元は観客のひとりに照らされており、今度は白い糸を、赤い糸の周りに縫い付けていた。

ナターシャさんは、どうやらオレンジの糸を伸ばし終えたらしい、脱いだままの靴の傍には糸巻きが置いてあって、柵のポールに付いたライト、何の前触れもなく数分前から光り始めたそれが、糸巻きの“頭”を暖色光で輝かせている。
ワンピースが無いのは彼女がまさに持っているからで、階段を上がったナターシャさんは武谷さんと合流し、受け取った枝を左腕の肘裏に挟むようにして掲げた。その枝から伸びた赤い毛糸は、ゆるやかにたわみながら樹木の方へと向かっており、その一端を武谷さんが、枝に結び付けようとしている。
そこにエドアルドさんもやって来て、物干しロープみたいにわたされた毛糸にレシートを付けていく。すでに、“ロープ”にはワンピースがハンガーで掛けられており、私の背後では、生け垣のへりに掛けた観客2人組が並んで見ていた。

突如現れた薄紫のリボンは、ナターシャさんが持っていたらしい。その一端は赤い毛糸に接がれ、もう一端はスロープの手すりに結ばれた。ちょうど、武谷さんが結んだ木の枝から手すりまで、まっすぐ張りわたされた形だ。

階段を下りて、回り込む形で、エドアルドさんが元々いたあたりに戻ってみる。そこには紅白の、先ほどまで頭に巻き付けていたと思しき布が敷かれており、その四辺を押さえるように破片が並べられている。周りには、鈴が散らばっていた。
目を上げれば、向こうの草むらでは大里さんがまだ作業を続けている。照らされた手元はすでにだいぶ明るい、奥に4つ並んだ街灯にも負けないくらいで、右側のものは港湾用なのか、一段と高い位置にある。

今度はスロープから戻ると、上がりきった先の地面、割れ石のあしらわれたそこに小さな木の枝が積んだ小石で立ててあって、まだ明るかった15分くらい前にも、たしか別のタイルの目地には鳥の羽根が挿してあった。それらはパフォーマーによるものかも知れないが、触発された参加者によるものかも知れない。美秋さんの「OFF LEASH AREA」もすでに描き終わったようだが、その周りに描かれた、ヤモリのような前肢を持った何かは1人の観客によるものだ。

戻るとすでに、石田高大さん(彼自身パフォーマンスアーティストだが、今回は観客として来ていた)は武谷さんから渡されたのか枝を持っていて、ついでに持参していたビニール傘を差している。石田さんから伸びたリボンの一端はエドアルドさんが持っており、2人の間に立った武谷さんは、むしったのだろう下草をいっぱいに咥えていて、その葉先でリボンに触れる、同じようにエドアルドさんの顔にも触れた。

そんな時に、私の肩口を掠めていったのはリボンで、正確に言えばその前に風がよぎっていった。背後を走り去るナターシャさんが、左目の端に見えていた。彼女は、武谷さん-石田さん-エドアルドさんの周りに何となく集まり始めた観客を縫い止めるように走っていた。

23日の日の出は5時半だったらしく、単純計算すればこの日は12時間7分にわたって昼が続いた(“本当に”昼の時間=夜の時間になったのは3日後の9月26日のようだ)。『Equinox - Same but different』は、そうした頃めがけて行われ、世界各国で様々な光景が生み出されたのだろうが、加えて日本では、それが昼から夜へと移り変わる黄昏=誰そ彼時だった。毛糸と、リボンで結び合わされた3人は小さな星座のようだが、それらが『Equinox』という星雲を形作っていた。

自然と混じり合っていったパフォーマンスは、同じく溶けるように終わっていって、石田さんが巻き付けられたリボンを振り払っている。そんな彼を尻目に大里さんの方へ向かうと、彼の作品もまた終わりに差し掛かっていた。白い糸に囲われた赤い糸、草の膚にタトゥーのように象られたそれは、どうやら日の丸らしい。眼前のクレーンは大きな船へとコンテナを規則的に積み込んでおり、公園の傍には東京税関本関があったようだが、私はただその横を通り過ぎただけだった。

そこに、またしてもムラカミさんの音が滑り込む。振り返れば、ゆるやかに傾斜した原っぱの上、もうひとつのスロープあたりに立っていて、武谷さんが、原っぱを突っ切って真正面から彼に近づいていく。
ムラカミさんと、武谷さんの間にはスロープの手すりが銀光りしていて、武谷さんはその傍に寝そべる、彼はすでに葉っぱを咥えていた。二人の間からは、集合場所の“ステージ”、今は「OFF LEASH AREA」と記されたそこに再度集まりつつある参加者たちが見えて、石田さんはまだビニール傘を差している。

大里さんの方を見返せば、すでに“日の丸”を作り終えたようだ、2時間ぶりに立ち上がった彼は、咥えたペンライトでそれを照らしつつも見下ろしていた。
体感では10分ほどだったが、もっと短かったかも知れない。蜘蛛の糸のように、透き通った唾液を草葉へ滴しながら“日の丸”を照らし続けた彼は、にわかにペンライトを吐き捨てると斜面を上がって去っていった。その先のコンテナ埠頭では、“キリン”が煌々と佇んでいた。


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