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集団処遇が生み出すモノ

「抜けない」のね。


何がって、その「感じ方」と言うか「考え方」がね。


「集団処遇」を悪い意味で強く経験してしまった場合

自分の掌の中にご利用者がいるような感覚が生まれがち。

所謂「事業所本位」「職員本位」と言う

ケアの本質から離れてしまう

そのような病に侵されていることに

自分自身で気付くことが出来ない。


何がいけないのか、なぜダメなのかが理解出来ない。


そういう人は先ず

「意思を示す事の出来る」ご利用者に拒絶される。

きっとクレームが絶えないだろう。


しかし多くの要介護高齢者の皆さんは

ご自分で「意思を示す事が出来ない」ので

そういう人は自分で勝手に

「上手く出来ている」「上手く立ち回れている」

と勘違いしてしまう。


それは「上手く出来ている」のではなく

ましてや「上手く立ち回れている」訳でもなく

ただ単にお相手に「我慢させている」のだ。

「許して」頂いているのだ。


ご利用者はマスコットじゃない

ましてやモノではないのだが

そういう人は

言葉ではなく感覚の部分でそれが理解出来ない。


これを放置しておくと

そのままのさばらせておくと

間違いなく全体のケアは荒れるが、それすら誰も気付けない。

知らず、知らず、アブノーマルな世界へ入り込む。


そして、またココロある専門職は

その職場を、業界を離れていく。


こうやって偽りの専門職を育てている施設は決して少なくない。



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