チップは多め派
ニューヨークに初めて旅行した時に、友人と3人で食事をする機会があった。3人でランチを食べて、カクテルを飲んで、お会計が$130。ウエイトレスに渡された伝票に、友人が「TIP=$26」と、さらさらと書き込んだ。こちらでは、食事をした際のチップの相場はだいたい20%なのだ。私は想定外の支出の大きさに驚いた。食事代とは別に、1000円近く払うなんて!更に税金も加算されるなんて!
おののく私に、アメリカ人の友人は「日本で食事をすると、罪悪感を感じるよ。あんなに安くて、店員さんはあり得ないほど感じが良くて、それでチップを払わないなんて。」と言った。なるほど、そんな考え方もあるのかと、感覚の違いが新鮮だった。
NYで暮らし始めて一ヶ月程は、チップを入れるのをためらった。To go(テイクアウト)ならあげなくてもいいんだよと教えてくれた人がいて、お持ち帰りの時にはチップを入れないこともあった。しかし、徐々に感覚が変わってきた。
お店の人たちは、いつも感じがいい。チップの有無に関わらず、感じの悪い人に当たることの方が稀で、たまにお客さんから理不尽なクレームをつけられている店員さんを見ると、とても不憫に思う。そんなお客さんはチップを払わないので、理不尽なクレームをつけられている店員さんに遭遇した時には、私は多めに現金を置いてお店を後にする。店員さんたちにも暮らしがあり、彼らがいなければ、私たちはサービスを受けることが出来ない。これはコロナウイルスによりロックダウンする街中で、ひしひしと感じたことだ。スーパーなどで、休みなくサービスを提供してくれる人がいることは、とても有難い。彼らのおかげで、好きな時にスーパーに行って買い物が出来るのだ。
チップは、彼らに対する感謝の気持ちである。チップによる収入が、彼らの生活費に組み込まれている。チップは、誰かを支えたいと思う気持ちの表れである。
そう気がついてからは、喜んでチップを支払うようになった。それはたったの1ドルかもしれない。あなたが払える範囲でよい。だけど、その1ドルが、目の前にいる知らない店員さんの暮らしを支える一部になる。
移動の際にUberを使うと、乗車後にチップを入力してドライバーにあげることができる。以前、ひどく落ち込んでいた時にUberを呼んだことがあった。やってきたドライバーは、非常にキャピキャピした、女性らしい話し方の男性だった。キャッキャとした口調で、「ハァーイ!調子どお!?」なんて聞かれ、非常に落ち込んでいる旨を話したところ、気分を上げるためにやること、これ以上落ち込まないためにやっちゃダメなこと、を繰り返し私に言って聞かせ、非常に手厚くホテルのエントランスまで荷物を運び、私をフロントスタッフへ引き渡すまでエントランスで直立してニコニコと見守ってくれた。それを見たホテルのスタッフは、カジュアルな服装でボサボサ頭の私を丁重に扱ってくれ、とても快適な滞在となった。
部屋に着いてからは、私は彼(彼女?)のアドバイス通りにし、安らかな気持ちで眠りについた。この時には、本当にこのドライバーに救われた思いがし、チップを乗車賃の120%に設定した。きっとあのドライバーは喜んだだろう。笑顔を想像すると、私も嬉しい。
そして、なんとその後のUberのドライバーからの扱いが、すこぶる丁寧になった(気がする)。ドライバー側でどういう情報が出ているのか、出ていないのかわからないが、とにかく毎回Uberの移動が非常に快適である。
「ペイフォワード」という映画があった。あんな綺麗事の世界はないと思っていたが、今、私の目の前に広がっている街は、そんな世界になり得るかもしれないと思っている。
お互いに感謝し合い、知らない相手であっても体調を気遣い、その人の今日が良い一日となることを願い、表現し合えるというのが、ニューヨークという街の好きなところのひとつである。
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