有形と無形
絵を売りまーすという時に
3000円もらうとして
ミニメッセージやりまーす
で同じ3000円もらうのは
なんだか自分の中で抵抗があることに気づく。
無形のものにお金とっていいのだろうか?
という疑念。
チャリティーならできるけど
チャリティーを挟まないとなんだか気が重い。
お金を絡めると途端に窮屈になる。
なんかありそうと、
絵とメッセージの違いについて
考えてみる
結局、
有形でも無形でも、
辿り着くのは同じ事だった
絵を見てもらうことも、
言葉を受け取ってもらうことも、
その人が喜んでくれたらうれしいから
ちょっとでも気持ちが明るくなったら嬉しいから
1つでも何か気づきが生まれたら嬉しいから
境目はなかったと気づいたら
少しだけ抵抗感が薄れた
自分の中で見えるものと見えないものの境目が少しずつ薄くなっているのだろうなぁ〜
だから、少しずつ行動にうつしているのだろうなぁ〜と感じた
そしてどちらも
絵も言葉も、
同じように自分のエネルギーを注いでいる
人も喜んで、
"自分も嬉しい"を、
忘れないようにしたい
結局自己犠牲では続かない
自己犠牲が入るとどんどん苦しくなる
"自分が楽しいからやる"
を基本に。
楽しいを継続するためにお金受け取る、
と考えてみよう。
お金は悪ではない
物々交換の手段
溜め込まず循環させていれば
淀むものではない。
奪い合えば足りず
分け合えば余る、だっけ。
自分の観念も少しずつほぐしながらやっていこう。
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