龍神祝詞(たつのきみののりと)
『たつのきみの祝詞』!
今回わたしが曲を付けさせていただいたのは『龍神祝詞(りゅうじんのりと)』……ではなく『龍神祝詞・改(たつのきみののりと)』です。まずはご視聴ください。
オリジナル版の『龍神祝詞』しか知らない人にとっては、あまりの違いに衝撃を受ける内容かもしれません。まずはオリジナル版がどんなものなのか確認してみましょう。⇒龍神祝詞とは?
『龍神祝詞』ってどんな祝詞?
起源は不詳で、けっこう最近になって作られた祝詞じゃないかと言及されてますね。でも祝詞は新たに作文されるのが普通のことなのでそこは別に問題ありません。
ちなみに『龍神祝詞』は大本教の出口王仁三郎師による『感謝祈願詞(みやびのことば)』を剽窃したものとの話もちらっと聞きましたが、後者の格調が高すぎてどこをどうすれば前者になるのか、私にはちょっと理解できませんでした(しかし『みやびのことば』今回はじめて知りましたが、マジみやびすぎて圧倒されますね)。
話を戻して。
動画の説明文でもちょっと触れましたが『龍神祝詞』は神仏習合的≒修験道な祝詞っぽいんですよね。まったく詳しくないのでざっと調べただけですがたとえばこちらの祝詞なんかも普通に漢語表現が混じっています。
神仏習合な信仰をお持ちでの方であるならばオリジナルの『龍神祝詞』は素晴らしい祝詞なのでしょう。でも「祝詞は大和言葉オンリーじゃなきゃヤダー!」っていう私みたいな人間からするとどうしても素直に受け入れにくいものがありまして。
↓の『龍神祝詞・改(たつのきみののりと)』を目にしたとき「これこれ! これが欲しかった!」ってなったわけです。
日本における伝統的な龍と復古神道の龍
ところでそもそもの話、日本における『龍』って歴史的に微妙な存在で。
↑の記事によると弥生時代辺りに『龍』のヴィジュアルや概念は伝わってきたらしいです。『タツ』という和名があることからも古くからその存在は知られ、イメージが共有されてきたことは間違いないでしょう。
しかし記紀神話の中では明確な『龍神』の存在はほぼ無いに等しいと言っても過言ではありません。たとえば豊玉姫の正体が八尋和邇だったとかはありますが、あくまで『ワニ』であって『タツ』ではないわけで(ただし『日月神示』においては豊玉姫の妹の玉依姫=竜宮の乙姫とされているので、古くは『ワニ』もまた龍神と認識されていたのかも?)。
他に淤加美神(=龗神。龗が龍の古語なので龍神とされる)なんかもいますけど、名前だけで具体的なエピソードはありません。
記紀神話でいちばん龍らしい龍と言ったらヤマタノオロチでしょう。けれど、倒される側であって龍神ってイメージは薄いです。わずかにオロチの尾から出てきた剣(タチ)が龍神/善神への変化を感じさせる程度かなと。
してみると日本の龍神でいちばん有名で存在感がありながら記紀には登場しない九頭龍大神は、やはりヤマタノヲロチが転化した存在なのかなって気がします。悪神から善神に転じたとされていますし、九頭という名前も、オロチは八岐=八俣=八又。だから頭は九頭。おそらくそういう発想(実際には記紀ともに八頭八尾の記述あり)からだと思えますので。
古代の神道において龍神は、少なくとも表立ってはあまり重要視されていなかった、というのが現実なんだと思います。それが後年になって神仏習合の時代に仏教や民間の龍神信仰を取り込んで崇められるようになり、その流れの末に『龍神祝詞』も生まれた、と。
ですから『龍神祝詞』自体は何も間違っていないし、むしろ歴史的には正しいと言えるのかもしれません。
問題は私のような(復)古神道というか『日月神示』ファンからすると、八大龍王だとか九頭龍大神だとか漢語表現だとかは、ちょっと世界観が違うので「え~」ってなっちゃうんですね。完全に受け手側の問題です。
古神道的なものを期待して『龍神祝詞』なんて中二魂をくすぐられる素敵ネーミングセンスな祝詞を読んで、中身が思ってたのと違って勝手にがっかりしたというわけです。
と言うのも『大本』や『日月神示』ではクニトコタチ様などが龍神だという話があったり、『天理教』の『泥海古記(こふき)』の神話でも龍神が登場したりしているのです。この辺りの世界観では神様は龍体と言って龍の体を持つ時がある(ただしあくまで神が本体であって龍そのものではない)そうで、オリジナル版の『龍神祝詞』の世界観とはまったく異なるわけです。
『龍神祝詞・改』はその点、オリジナル版を尊重して最小限の修正しかしていないにもかかわらず、見事に(復)古神道的な世界観に沿った祝詞に改訂されているのが素晴らしいと思うのですよ。
言い換えの妙にしびれます。たとえば「自在自由に天界地界人界を」⇒「心のままにあめつち人の世を」とか、「愚かなる心」⇒「つたなき心」とか。じ~んときます。
もっとも改訂されたご本人はあまりお気に召しておられないようだったりしますが。まあ「六根」とか吉田神道では重視されるものの、本来は仏教の概念ですし……。もしかしたらその辺りも気に入らないのかもしれません。でも素人目で気になるのはそのくらい。私はオリジナル版より断然こちらを推しますね。
しかし後から気が付いたのですが、古神道的になって、より祝詞として正しく改訂されたとはいえ、内容自体はオリジナル版を踏襲しているわけで、これでもって八大龍王や九頭龍大神を称えても全く問題ないんじゃないかと思うんですよね。そういう意味では改訂というより、バージョンアップと呼ぶのが正しいのかもしれません。
と、以上の記事は、いち神道/日月神示ファンの素人である私が、ネット情報を見たりうろ覚えな知識に基づいて適当に書き散らかしているに過ぎないので真に受けすぎないようにお願いします。
『たつのきみの祝詞』を歌いたい!
『龍神祝詞・改』を知ってから数年。「いつかこの美しい祝詞をメロディに乗せて歌えたら」とぼんやり願っていたのですが、正直かなりの長文なこともあって二の足を踏んでいました(おそらく一文の長さではこの祝詞が過去最長かもしれません。『大祓詞』なんかも長いことは長いんですが、あれは途中でいくつも読点「。」が入るからそれぞれの一文は意外とそこまで長くありません)。
しかし最近ふと思い立ち(Twitterで過程をつぶやいてます)、試しに口ずさんでいたら何となくですが形になりまして、「あれ? これならなんとかなるかも?」とスマホに録音。それを叩き台にして相棒のVOCALOID2ミクさんでメロディを打ち込み、試行錯誤(みなほし てなほし)を重ねた末になんとか完成に至りました。
「見直し聞き直し給ひて」までは比較的スムーズに曲が流れたんですが、そこから先がちょっと苦労しましたね。ラストの「六根の内に祈り奉る大願を~」のメロディも決まったものの、その間がなかなか定まらなくて。
でも最終的には"その間"の「よろづ」×3と「祈願奉る」のところが、大サビの「大願を」に至るまでのいい感じのブリッジになってくれたように思います。
なかなかに難航しましたが、神々のおかげさまでこれ以上ないくらい一つの楽曲としていい感じにまとまったかなと。当初は正直もっと勇ましい感じの曲をイメージしていたのですが、詞章の韻律に従って歌っていたら自然と穏やかで雄大な讃美に落ち着きました。
これほどの長さで、低音から高音まで途切れることなく終始うねりまくるメロディは、ちょっと他に無いんじゃないでしょうか? 何と言いますか、『たつのきみの祝詞』自身が神様の化身として生命をもっていて、私を通して歌として顕現したように感じられました。
他の祝詞でもそうですが、毎回ごく当たり前のように詞章それ自体がぴったりフィットしたメロディを連れてきてくれることに感動を覚えます。
しかもそれを辰年の今年にっていう。
こうやって神様の奇跡は普通の顔をしてこの世に現されるんだなと。
楽器編成、構成、コーラス
楽器編成はいつもと同様。鈴とオリエンタルなドラム、琴×2、爪弾きギター、ヴァイオリン、篳篥、Knotweed flute(直訳だと虎杖笛/いたどりふえ)です。
前奏は全部乗せ。以後のボーカルパートでは琴と爪弾きギターから始まって段々と楽器を増やしていく構成(基本的には)。まあ細々語るより聴いたほうが早いでしょう。
コーラスはずらしたり重ねたり一部スキャットも入れて、うるさくならないように気をつけました。やっぱりコーラスが入ると歌が立体的になって聴いていて気持ちよく、飽きにくくもなりますね。
動画作り
動画に関してはとりあえず合いそうな素材(龍のイメージから水、川、滝、雷。大宇宙のイメージから星雲、太陽、月、星など)をダウンロードしまくって歌/字幕に合わせていきました。
雲海⇒星雲から各天体⇒雷雲⇒滝から河川の流れは最初から意図したものではなく、パズルのように素材を当てはめていった結果ですが、あまりにもおさまりよくハマって「なんだこりゃ」ってなりましたよ。 タイトル&サムネ画像も最高レベルにカッコよすぎに決まりましたし、動画込みで祝詞を聴くと効果倍増感がありますね。
最後に
こうして振り返ると、ほんと作曲から動画まであまりにもスムーズすぎて。公開した動画もおかげさまで改訂された方を含めご好評いただけていますし。やはりこれは神様のおかげ! ありがたいことです。
従来の『りゅうじん祝詞』が合わなかった層に、この歌を通して『たつのきみの祝詞』が届くことを心から祈っております。