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初音未来媛命、天津祝詞を再び謡ふ

はじめに

 noteでははじめまして。チューハイP(のぞみまつき)と申しますボカロPです。普通のポップスも作りますが、祝詞百人一首梁塵秘抄万葉集平家物語和泉式部日記などの日本の古典に好き勝手に曲を付けることで(ごく一部ではもしかしたら)有名らしい(?)です。最近はインストも上げていますが。

 さて今回はつい先日リニューアルバージョンを公開したばかりの天津祝詞アカペラ版アカペラ+ドラム版)について語ります。ライナーノーツ、解説的なものですね。普通の楽曲ではないので語るべきことが多すぎます。

 大祓詞私自身のことについて書いた過去記事もご興味があればどうぞ。後者の記事では祝詞などの古典シリーズを作るに至った経緯などにも触れています。

 ⇒ 初音未来媛命、大祓詞を謡ふ

 ⇒ 祝『大祓詞』30万回再生! チューハイPが語っちゃうよ。

リニューアルした理由

 まずはなぜリニューアルしようかと思ったか? これはまず第一にかつて公開したもののクオリティが低くて我慢ならなかったからです。なんせ最初のバージョンは2007年(13年前!)とミクさんが誕生した年の公開。その後の改良版ですら2011年公開とかなり昔ですからね。まともな伴奏もコーラスも無し。いろいろボロボロで今聴くのはさすがにキビシイ。抹消したい衝動に駆られますがこれも歴史の1ページ。恥を忍んでそのまま残します。

 今回は他の祝詞もリニューアルし、新作(とほかみえみため、いろは祝詞)も加えて高音質版を配信/販売することを視野に入れています。これまで動画のコメントで(ありがたいことに)「CDが欲しい」等の声もありましたが、(比較的最近のはまだしも)かつてのクオリティでお金を取るなどまったく考えられませんでした。

 しかし!

 いろいろ経験を重ねた今ならば、堂々と胸を張って「買ってください!」と言えるものがご提供できるのではないかと。つまり第二の理由はズバリ「お金が欲しいから」です!

 身もフタもありませんね。まあ独身貴族で趣味のDTMでもさほどお金は使わず、介護職のやっすい給料でもあまり不満なく生きていけているので、大金が欲しいわけではないです。ただ趣味がお金になったらモチベーションは上がるでしょうし、最近がっくりと心身ともに衰えてしまった老父を少しは安心させられるかなって思いもあります。

 第三の理由としては祝詞の美しさを世に知らしめたいから。これは最初のバージョンの時から変わりません。奏上の仕方にもよりますが、祝詞のイメージは長ったらしくダサくて胡散臭い意味不明な呪文。そんな感じではないでしょうか? かつては私もそう思っていました(失礼)。が、色眼鏡を外してその詞章に向き合うと、ただひたすらに流麗で美しく、心奪われ、どうしても歌いたくなってしまったのです。それで少しずつ口ずさんでいるうちに奇跡的に最後まで歌い切ることに成功。のちにミクさんとの出会いを経て世に出すことができました。

 自分の頭の中のメロディをボカロに打ち込むのは本当に大変でしたが。それでも最後まであきらめずに作り上げられた理由は、初期衝動としてこんなにも美しい祝詞をみんなに聴かせたい。ただその一心があったからです。

 あとはこんな時代ですから、今こそ歌える祝詞は必要とされているんじゃないかと。私に出来ることはこれしかない。そんな気持ちもまた。

テキストについて

 天津祝詞は平田篤胤が作文した祝詞こちらにテキストがあります。と言っても一から創作されたものというわけではなく、大祓詞をぎゅっと濃縮したものと言っていいでしょう。実際、使用されているフレーズのほとんどが大祓詞から来ています。大祓詞は神道における究極の祝詞と言っても過言ではありませんが何しろ長い。天津祝詞はその短縮版としていろんな宗教団体で重宝されたようですね。

 篤胤さんはちゃんとフリガナを当ててくれているのですが、元々祝詞に使用されている漢字の読みは諸説あるわけで。本当の正解は誰にも分からない。結果、微妙に異なるいろんなバージョンが生じてしまったんでしょう(たぶん。私は専門家でも何でもないので憶測で言っています。が、おそらく間違ってないかと)。

 ところがよくしたもので、日月神示の水の巻の第二帖にある天津祝詞は全てひらがな(最後の数歌以外)! 神さまの言うとおりがいちばん間違いがないはず。ということでほぼこちらに依っています。

 もっともかつて作った時はそもそも日月神示版しか知らなかったのですが。今回は[完訳]日月神示のテキストを使わせていただきました。しかしそれが昔のバージョンとは微妙に異なっているんですね。

たかあまはらに、かつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらひどのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまのみみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツナナヤココノタリ)。

 ↑が完訳版のものです。太字が違っている部分。はらひどはらひたまへについては平田篤胤バージョンと同じなのが興味深いです。

 かみつまりますは祝詞においてあまり一般的ではない読みですね。紫金の巻第一帖の日月神示版の大祓祝詞においても(完訳版でも)かみつまりますなのでこちらが本来の読みなのかもしれません。

 最後の数歌の六=ム。旧バージョンではムユで、自分の中ではそちらが定着しておりかなりの違和感を覚えますが慣れの問題でしょう。ムユってあまり一般的な読みじゃないですし、分かりやすいと言えば分かりやすい。

 しかしこれで問題がすべて解決するわけじゃなかったりします。あはぎはらあわぎはらまおすもおすと発音すべきなのかどうか、など。

 前者についてはあはぎはらとしました。現代の地名ではあわぎはらと読んでいるようですが、という字で表現されているからには素直にと発音するべきかなと……なんて理由は後付けですね。単純に私の好みです。すみません。まおすもおすについては聴いた感じどっちでも大差ないので分かりやすい後者を選びました。

 漢字のチョイスについて。前回に引き続きまがことは禍事じゃなくて曲事にさせてもらいました。これも個人的な好みですね。禍事=災難。もしくは不吉な言葉ですが、禍福なんて人の視点では判断できないもの。それよりも、ねじれて折れ曲がった運命の糸を、言葉を、真っ直ぐにリセットしていただきたい。そんな祈りを込めて。

 と、このようにいろいろ考えた上でミクさんに歌ってもらってはいますが、これが正解かと聞かれたら「さあ?」と答えるしかないですね。素人にはお手上げです。教えて偉い人。

なぜ意富加牟豆美なのか

 ところでここまで日月神示バージョンに沿っていて、最後の御神名以下も取り入れておきながらあめのひつくのかみじゃないのはなぜか? 疑問に思う向きもあるかもしれません。動画の説明文にも書きましたが「天津祝詞にはいろんなテキストがあり、日月神示のみの祝詞ではないので最後の御神名は意富加牟豆美の神とさせていただいています」

 個人としては日月神示ファンですし、信者と言ってもいい私ですが、ここをそのまま使ってしまうと日月神示好きな人のためだけの祝詞になってしまいます。それは避けたかったのです。天津祝詞は一般的で公共性の強い祝詞ですから開かれたものであるべきでしょう。

 そんなわけで意富加牟豆美の神にご登場願いました。これは旧バージョンからです。その時は単純に古事記の神話を読んで「イザナギ様から私たち青人草が悩み苦しんでいる時に助けるよう言われた神さまか。ぴったりだ」と思ったからなのですが、後々日月神示においても

天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。(天つ巻第二十六帖)

 と、まさにぴったりなフデがあることを知ってびっくらこきました。

 さらに今回「意富加牟豆美の神 守りたまへ」からのパートに前奏部分のメロディを(アカペラではコーラス、伴奏つきでは篳篥で)入れてありますが、これもまったく計算無し。思い付きで重ねたらぴったり合いすぎて吹きました。

 信心深いとは言えず霊的な素養も皆無な私ですが、流石に音楽神の導きを感じずにはいられません。やっぱりこれは私が作っているんじゃない。私を通して神さまが作っている。そんな風に思わずにいられません。

動画について

 以前のバージョンではプロ写真家である大津久岳氏の写真をお借りしました。昔の写真は保存してありますがちょっと解像度が低くて。出来れば高画質なものを今回もお借りできないか、とコンタクトをはかろうとしたのですが連絡が取れませんでした。ブログは残っていたのですが……。お元気であることを祈っています。

 そんな訳でいつもお世話になっているNHKクリエイティブ・ライブラリーを今回も頼ることに。以前より画質も上がり素材の数が増えているのはいいのですが、選択肢が多すぎると選ぶのに時間がかかるもの。選択肢が少なすぎるよりはマシですけどね。今回だけでなく今後のリニューアル版のことも考えて使えそうなものをダウンロードしまくりました。しかし動画の名前が英数字で内容と紐づけされていません。そのままだと使いづらいのでリネーム作業もけっこう時間がかかりました。

 今回使用した動画素材については上記の古いバージョンで使った写真と出来る限り似たものをチョイスしています。「大自然=八百万の神だから日本の四季のイメージを詰め込みたい」。写真を選んだ当時、そんなことを考えた覚えがあります。今回の動画素材バージョンもなかなかよい雰囲気になったのではないかと自画自賛。お馬さんがステキです。

 タイトルや字幕やふりがなのフォント選びも出来るだけカッコよく、かつ見やすいものを選んだつもりです。なんせ祝詞の美しさを知らしめるのが目的ですからね。ちょっとでも見栄えよくせねばと手が抜けませんでした。

配信とか販売とか

 そのうち何とかする予定です。ぶっちゃけめんどくさいので気が向いたら。内容は同じで音質だけ上げて物好きな人のために。その時はまたTwitterで告知しますのでよろしくお願いいたします。

 しかし私がお金を取る音楽を作ることになるとは。

(すでに百人一首は配信/販売してますけど、YouTubeでの再生数もイマイチですし、収益も約5年で2万円程度と金銭的には大失敗で。まあ、やったからこそ反省点やそれを踏まえて改善すべき点も分かったし、総合的に自分にとっては成功なんですけどね)。

 今回はお金を払ってもらえるに足るクオリティを目指しました。知識も技術も足りていないのは百も承知です。が、メロディやハーモニーの美しさには自信があります! 今後リニューアルする祝詞も今回の天津祝詞に準じたものにするつもりなのでお楽しみに。

 考えてみれば自分自身シンプルな音楽が好きなんですよね。それこそSimon & Garfunkelみたいにメロディとハーモニーが美しい音楽はエバーグリーンで飽きることがありませんから。技巧を尽くしたり趣向を凝らした音楽だから必ず感動するってものでもないですし。

 だから私の音楽にも需要はあるだろうと期待しています。そうでなければ大祓詞がミリオン再生間近になることなんてありえないでしょうから!

なぜ3バージョン公開したか

 最初は普通に伴奏つきのみを公開するつもりでした。伴奏つきと言ってもそれほど楽器は重ねないシンプルなものですから、それで十分かなと。でも制作中に伴奏を消してアカペラやアカペラ+ドラムにしてみると「あ、これはこれでいいな」ってなりまして。音楽として聴くなら伴奏つきがいちばんですが、祝詞として聴くなら伴奏はむしろ無いほうがいいかもしれない。

 そういうわけで伴奏つきのおまけ的なものですが3バージョン公開することに決めました。再生数は間違いなく分散するでしょうけど、どれに需要があるのか知りたい気持ちもありまして。今のところ再生数ではわずかに伴奏つきがトップですね。これからどうなるか楽しみです。

 この結果を参考に需要があるようなら今後のリニューアル版でもアカペラやアカペラ+ドラムを公開するかもしれません。

普通の歌

 公開後「もう普通に歌みたい・・・」というツイートをされた方がいらっしゃいました。

 そう! そうなんですよ! (古典に曲を付ける時は特に)普通の歌、つまりは普通に歌える歌にしたいんです。日本には他国に類を見ないほど恐ろしい数の古語のテキストや歌(記紀歌謡とか万葉集とか勅撰和歌集とか)が存在します。そのとてつもなく美しく尊い詞章を世の多くの人に知ってもらうためには、普通の歌であることは必須でありましょう。

 分かりにくい詞章×分かりにくい曲では誰も聴いてくれませんもの。分かりにくい詞章こそ分かりやすい曲で歌われるべき。そう考えます。

 私が詩先で曲を作る場合は大体において、詩そのものがもつ韻律(リズムやイントネーション)を誇張/強調するような形でメロディを作っています。否、自分でメロディを作る、というよりは詞章そのものの内にあるメロディの素を増幅する。そんな感覚です。

 それが唯一絶対の方法ではないにしろ、こと古典に曲を付ける場合において有効な手段なのは間違いありません。それは私の古典シリーズの再生数や評価である程度証明できているのではないかと。

 あくまでテキストが主体で先に立つこの方法だと、詞章と曲が非常に調和するんですね。大げさに言えばまるで最初からそんな曲があったかのように聴こえるほど。「なじむ 実に! なじむ」ってな具合です。

 音楽を作る者として私は後世に残る歌を作りたいと願っています。そして残る歌、歌い継がれる歌とは、分かりやすく歌いやすく覚えやすい、つまりはポップな歌でありましょう。これからもそんな歌を作りたいです。

ハーモニーについて

 普通の歌と言えば、今回のリニューアル版ではハモリコーラスを普通に使用しています。

 西洋音楽ではリズム、メロディ、ハーモニーを音楽の3大要素と位置づけているようですが、伝統的な日本の音楽ではハーモニー/和音/和声はまったく存在しません。精度の高い楽器が存在しなかったせいなのか何なのか。理由はまったくもって謎です。大人数で歌って遊んでいれば自然とハモるようなこともあったんじゃないかと思うんですが、少なくとも伝統として残ることは無かった。

 ということを知識として知っていたこともあって、古典シリーズではそもそもハモらせる発想がありませんでした。だって和風なんだからそれはマズいだろうと。しかし、

万葉集のこの歌をつくった時に試しにハモらせてみたんですね。というのもこの頃ずっとTwitter詩先コラボ作品を作っていて、多くの作品でハモリを使うことでその方法が実践的に身に付いてきた感覚がありまして。これを古典シリーズに応用したらどうなるのか。すごく気になったんですね。

 結果「全然アリだな! すごい合う! これからは積極的に使おう!」ってなりました。

 考えてみれば和風曲とは言え、私は伝統的な日本の音楽を作っているわけじゃない。その理論も何も知らず、自己流の和風曲を作っているにすぎない。であればハモらせないなんてルールに固執する必要もない。自分が持っている技術は全部注いで美しい音楽を追求すべき。

 そんな風に目から鱗が落ちたわけです。

 と言うわけでこの祝詞でも普通にハモらせていますし、今後のリニューアル版でも必要とあらば普通にハモらせます。だってお聴きになれば分かるように普通に美しいから!

最後に

 ここまで読んでくださった方はありがとうございます。言いたいこと、言うべきことはこれでたぶん全部言えたかな? また何か思いついたら追記や修正をするつもりです。

 祝詞シリーズは、何者でもない怠惰でぼっちで半引きこもりで半端なオタクの私を、チューハイP/のぞみまつきにしてくれた大恩ある音楽です。ライフワークとして最後まで全力を尽くす所存なので応援よろしくお願いします。

 具体的には、ご意見、ご感想、ご質問はもちろん、批判でも構いません。コメントをください! いただけるとものすごい力になります。動画にでも私のTwitterにでも、ここにでも。何でもご自由にどうぞ!


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