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「黒歴史」を自分の一部にしたとき、人生が動き出す

過去の出来事が、ずっと心に引っかかることがある。でも、それを受けいれ、語り直すことで、自分の軸になっていくのかもしれない。ある程度の時が経ち、やっとそう思えるようになってきた。

高校時代、頭痛持ちから発展した薬物乱用性頭痛に悩み、適応障害で学校に通えない一年間を過ごした。日常が不安と焦りに包まれ、周囲の期待に応えられない自分を責めるばかりだった。心と身体が思うように動かず、ただ時間だけが過ぎていく。未来への希望が見えないまま、大切な高校生活がコンプレックスまみれで終わった。

ちいさな光を見て進学した大学一年生のとき、兄が過労で命を落とした。突然の出来事に現実が追いつかず、視界が真っ暗になった。なぜ兄は働き続けなければならなかったのか、なぜ近くにいた同僚や友人たちは、自分は、彼を助けることができなかったのか、自問自答を繰り返す日々。働くことそのものが怖くなり、社会に出ることが大きな不安に変わっていった。

それでも、自分なりに前に進もうと海外の大学院進学を目指して準備を進めた。父に「文系女子が大学院に行ったって何にもならない」と言われても「全額給付の奨学金をとって、絶対に行く」と言い切った。そのタイミングでコロナ禍が世界を覆い、すべての計画が白紙に戻る。目の前にあったはずの未来が、突然消えてしまったような感覚だった。何のために頑張ってきたのかわからなくなり、無力感に襲われた。

進路を変更して持ち上がりの大学院で修士論文を書き上げるうちに、研究テーマが自分の信念と合わないことに気づいたが、やめることもできず、とにかく最後までやり遂げた。このままのテーマで博士課程に進むことは難しいと感じ、進路を考え直さざるを得なかった。何もかも貫き通せない自分にモヤモヤした気持ちでいっぱいで、自分はダメ人間だとずっと思っていた。

「こんな自分がお金をもらっていいのか?」そんな気持ちが拭えず、青年海外協力隊のボランティア活動に参加することを決めた。社会のために何か役に立ちたいと思う一方で、本当の自分は何を求めているのかわからないまま時が過ぎた。出発までの一年間で何ができるのかを模索し、キャリアスクールに入会した。そこで、「どんな体験も語り直せば信念になる」と学び、価値観が大きく変わった。「黒歴史」だと思っていたものは、「原体験」とも呼べるのだと。

過去には、できれば忘れてしまいたいような出来事もある。なかったことにしたい、覆い隠したい出来事がある。でも、それも自分の人生の一部であり、起きたことは変えられない。どんなに辛くても、悲しくても、確かにそこにあったのだ。そのひとつひとつを大切にできるかどうかが、自分の生き方をつくる。嫌だったことがあるなら、そのとき本当はどうしたかったのか、何を蔑ろにしてしまったのか、何を大切にしたかったのかに気づくことができる。

大切にしたかったことが見えてくると、過去の出来事の意味が少しずつ変わってくる。たとえば、わたしは兄の死を経験したことで「みんながすこやかにいきいき働ける社会をつくりたい」と思うようになった。適応障害になったことで「自分に合った環境に身を置く大切さ」を実感した。ひとつひとつの出来事が、わたしに伝えてくれているメッセージがある。どんなに辛い経験でも、その中には未来へのヒントが隠されているのかもしれない。

過去は変えられない。でも、解釈を変えることで未来の道は拓ける。どんな経験も、自分だけの物語として語り直し、信念に変えていくことができる。その先には、もっと心が軽くなる生き方が待っている。そして、その生き方こそが、本当に自分が望んでいたものだと思う。


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のぞみのなかみ
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