BTS "Reflection" 自分を愛せたらいいのに 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.138
Reflection
わかってる どの人生も
それぞれが一本の映画だ
僕らは
異なる星の元に生まれ
別々の物語をつむいだ
僕らは 各々の夜に沈み
バラバラの朝をむかえた
僕らの人生のシナリオは
ただ退屈なものではない
僕はこの映画がすごく楽しくて
毎日毎日上手く撮りたいと思う
僕は 僕を慰めてあげたい
僕を 慰めてあげたいんだ
でもね 時折 僕は僕がものすごく憎い
実際 かなり頻繁に僕は僕がとても憎い
自分が酷く憎い時僕はトゥクソムに来る
何となくそこに立ち、慣れ親しんだ闇と
笑っている人たちと僕を笑わせるビール
そっと近づいて来て僕の手を取る「恐れ」
平気さ 全て些細なことだし
僕にも味方がいる それでいいじゃん
世界 そのまたの名は絶望
僕の背はいわば地球の直径
僕は僕の全ての喜びであり憂い
毎日 繰り返される
僕に向けられた好悪
彼の漢江を眺める友よ
僕ら襟を掠めれば縁が生まれるのかな
いや、僕ら前世で掠めたのかも
もしかしたら、
数え切れない衝突もあったのかも
人々は暗闇で昼より幸せに見えるね
みんな己の居場所を知っているのに
僕だけ為す術もなく歩くね
それでもここで紛れている方が楽だ
夜を飲み込んだトゥクソムは
僕に 全く別の世界を渡すね
僕は 自由でありたいんだ
自由であることから自由になりたい
今は幸せでも不幸せだから
僕は僕と出会うよ
トゥクソムで
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
自分を愛せたらいいのに
韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/30413066
『Reflection』
作曲・作詞:Rap Monster, Slow Rabbit
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今回は、2016年10月にリリースされたBTS/防弾少年団の正規アルバム第2集「WINGS」より、RM/Rap Monsterのソロ曲 "Reflection" を和訳・考察していきます。
この楽曲は元々 "뚝섬で" というタイトルだったのだと、リリース当時のV LIVEにてRM本人が明かしています。
あらかじめ原案まで完成させておいた "Reflection" というタイトルになる候補曲が当初はふたつ存在していたそうですが、内ひとつは惜しみながらも自ら'アウト'にしたとのこと。
普段からこの歌詞にあるように、辛い時に良く訪れるというトゥクソム。"피 땀 눈물(血 汗 涙)" をはじめ "Begin" の歌詞もトゥクソムで書き、この "Reflection" を制作する時も原案のビートだけを手にトゥクソムに行き作業をしたのだと振り返っています。
紆余曲折を経てできあがったというこの楽曲は、後の彼のソロ作品「mono.」や「Indigo」に収録される楽曲たちにも通じる〈自己との対峙〉を試みることをテーマにした作品です。
ちなみに〈BTS Universe〉の登場人物ナムジュンは、不遇な環境にあり自己を犠牲にしてきたキャラクターとなっています。
ナムさん曰く、アルバム「WINGS」のソロ曲が冠している曲名は〈BTS Universe〉で担っているそれぞれのキャラクターとメンバー本人を楽曲の中で関連付ける重要なキーワードとしての役割を担っている、とのこと。
楽曲 "Reflection" が内含する事実と虚構の共通項について考えながら読み進めていくのもひとつの愉しみ方かと思います。
1.トゥクソム漢江公園
そのトゥクソムとは、漢江の北岸にある「トゥクソム漢江公園」のことです。
夏はプール、冬はソリ遊びまで可能な上、水上種目を含め充実したスポーツ施設、釣り場、サイクリングコース、展望台、庭園など、ありとあらゆる目的に対応できる万能レジャースポットのようです。
漢江を臨む広場からは、夜間にはライトアップされた噴水の演出も楽しめるとのこと。
"Ma City" の歌詞にある通り、彼には故郷イルサンに「湖水公園」という慣れ親しんだ場所があります。漢江よりも湖水公園が好き、と言って憚らないその特別な場所は、彼が自分自身と向き合う時間を得る為に必要なロケーションであったと考えられます。
国連総会でのスピーチで「夜空を見上げて想いを巡らせた」と幼少期を振り返る彼がイルサンで出会った「自然」や「宇宙」。
調べてみると湖水公園周辺の景色は住民の日常と自然が同居しており、都市郊外で開発された日本の〈ニュータウン〉と呼ばれる地域を彷彿とさせます。↓
一方漢江公園からの景色は、大都市ソウルの娯楽の場としてどこか浮世離れした非日常的な印象があります。夜景を楽しむ人々で賑わっていることも考えると、ひとり沈思黙考する場としては少々難があるかもしれません。↓
自分自身と正面から向き合う時間を大切する彼は、〈心の拠り所〉湖水公園を恋慕うが故にその面影を漢江に求めている。
ソウルの人として生きることになったイルサン出身の青年が、自身の最もコアな部分を見失わないために訪れる場所、それがトゥクソムであると言えるのではないでしょうか。
ところが実際のところ、自身の在り方に悩んでいる時こそ前向きに孤独でいたいはずの彼の目には、トゥクソムで夜景を楽しむ人々の姿が映ります。
"Reflection" の歌詞を読んでみると、それらの存在が彼の孤独をかえって後ろ向きなものにしているような節があります。
2.映画のような人生
彼は漢江のほとりで、人の生き様は「1本の映画だ」と思い至ります。
主観でしか物事を考えられない人間には決して到達できない、究極の客観視を経てこそ得ることができる境地だと思います。
「自分」は常に自分にとっての中心人物ですが、世界は決して思いのままにはならないし、他者の存在を見て見ぬ振りはできないものなのです。
自分も含め、全ての登場人物は異なる運命と物語を持ち、それぞれのタイミングで動いて、時に波乱万丈、平々凡々な日常だけを過ごすことなどできはしない。そんなことはわかっている。
それでも彼はこの映画(=人生)が「너무 재밌어(とても面白い)」と言ってのけ、「매일 잘 찍고 싶어(毎日上手く撮りたい)」という欲もある。
上手くいくことばかりではないけれど、自分で自分を慰めながらより面白い映画を作りたい。
そんな「大前提」がここで語られていますが、現実は異なります。
※1 근데 말야=그런데 말이야…でもね、ところでね(参考1、参考2)
※2 그냥…なんとなく(参考)
※3 ~게 하다…~させる(参考)
※4 둘셋(二つ三つ)=二三…少し(数の少ないことを言う)(参考)
※5 ~음…名詞化
上手くいかない自分を自分で慰めてはあげたいけれど、実際は上手くできない自分が憎らしくて仕方がない。
そんな時に訪れるのがトゥクソム。
沸々とした憎しみを抱き闇を身にまとい、煌びやかな夜景を臨む人々の笑顔を横目にひとりビールを煽る。
酔いが回るにつれ、忍び寄る得体の知れない「恐れ」に取り込まれそうになる。
そしてそんな孤独な自分に、自分で言い聞かせる。
大丈夫、平気さ。
お前が心配していることなんか、傍から見たら全て些細なこと。
お前も味方がいる。それでいいじゃないか。
この〈自分で自分に言い聞かせている〉と思われる気持ちの切り替えは、正に人生を1本の映画に見立てることができている彼だからこそなせる技で、主観のみに頼り被害妄想に溺れていてはこうはいきません。
個人的に悩ましい出来事も他人の目線で見れば大したことはなく、何より、そんな自分のことですら肯定してくれる人の存在がある。
例え誰かに否定されようと、誰に憎まれようと、自分で自分が嫌いになろうと、そんな自分にも친구がいる。決して一人じゃない。だからそれでいいじゃん。
漢江の水面にReflectionしたかのような〈もう一人の自分〉によるReflection作業なのです。
3.世界、またの名を絶望
とはいえ、いくら達観した彼であっても、成功の代償として浴びせられる無責任な他人の言葉を全て客観的にスルーできる訳ではありません。
ひとりの人間として体感している世界の様子が克明に表現されているのが次の部分です。
この世界は絶望そのもの。
どんなに顔と名前が地球上に知れ渡ろうが、自分の身の丈以上のものは手に負えない。
自分の口から出たものだけが自分の喜怒哀楽。他の誰かの代弁は許さない。
「好き」と「嫌い」の間で繰り返される自分に対する裁き……もう勝手にしろ。
世界を相手に活動することで、把握しきれないところで自分が独り歩きしているような感覚をずっと味わっているのだと思います。
人でありながら人として扱われないことに対する苛立ちのようなものを感じます。
ここで彼の視線はあらためて、余暇を楽しむために漢江公園を訪れている人たちに向けられます。
言わば〈偶然そこに居合わせた赤の他人〉であるその者たちに、彼は「友よ」と語り掛けます。そこには〈偶然同じ時代に生まれただけの赤の他人〉の姿が重ねられています。
※6 옷깃만 스쳐도 인연이다(直訳:襟だけ掠めても因縁だ)…日本語の「袖振り合うも他生の縁」とほぼ同義(参考)
おそらくこの時点で彼が思い悩んでいるのは、自らの手が届かない向こう岸で自分の虚像が独り歩きをし、あることないこと囁かれた挙句、批判にとどまらず勝手な弁護や擁護まで飛び交うような、そんな絶望と化した世界について。
もし〈偶然同じ時代に生まれただけの赤の他人〉と掠めるだけで縁が生まれるのなら、こんな絶望を味わうことにはならないかもしれない。
でももしかしたら、赤の他人と思っているだけで実はすでに前世で何かしら関わりがあったのかもしれない。関わるどころか、諍いがあったのかもしれない。そうでもないと〈偶然同じ時代に生まれただけの赤の他人〉が自分を絶望の淵に追いやる理由を説明することができない。
人として生まれたはずのひとりの青年が、人によって人らしからぬ扱いを受けたことで、世界は絶望と化してしまった。
どうすれば彼は、彼らは人であり続けることができるのか。
ただ単に味方であることを宣言すれば良いという訳でもないのではないかと、私は思います。
本人の思いは、本人の身の丈の内にしか存在しないからです。
4.夜に紛れて
そして楽曲の終わりに向けて、彼の孤独は一層色濃い影を落とします。
「闇の中で昼間より幸せに見える」というフレーズから、私は "네시(4 O'CLOCK)" を思い出しました。"Reflection" より後に公開されるこの楽曲は、ミクテ「mono.」収録の "moonchild" とも縁の深い「昼間の自分の生き方に息苦しさを感じているが故に、夜になると解放感を覚える人」について歌った作品です。
"Reflection" ではそんな〈夜の住人〉たちとの間にすら壁を感じているナムさんですが、自分もその内のひとりであることを自覚しています。
一抹の疎外感はあれども、夜の闇の中には昼間とは違う世界が広がっていることを実感しているナムさん。
そこで〈自由〉について率直な思いを吐き出します。
自由から自由になりたい。
この時点で彼の手元にある「解放されたい自由」とは一体何なのでしょう。
「生業として音楽が続けられる自由」なのか、「金銭的な自由」なのか、それとも「有名人だからこそ許されるあらゆる何か」なのか。
一見、何でも手に入れて幸せそうにも見える彼らが感じている〈不自由〉を一般人が具体的に想像するのは簡単なことではありません。
ただ、夜の闇に紛れることによって他人と見分けがつかなくなり、有名人であるRap Monsterから解放されるのだとしたら、彼は「単なるひとりの人間」に許されている〈自由なる何か〉を渇望しているのではないかと思うのです。
夜のトゥクソムで解放された自分に出会いその意思を確認することで、自由を手にして幸せになりたい。
そうすれば、自分を憎まずにいられるかもしれない。
※7 I wish I could~…~できたらいいのに(実際はできない)(参考)
自分で自分を省みながら、且つ自分を愛することができたならどんなに良いことか。
誰のせいにもせず反省と自愛を両立させるのは、なかなか難しいことです。
それでもそれを望み続けることが、人生を豊かにするのではないかと思う次第です。
この記事を公開した本日9月12日はナムさんの誕生日です!
남준아 생일 축하해요!👏
今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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