RM "Change pt.2" 万物は変化する 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.118
Change pt.2
物事は変化する 人々は変化する
万物は変化する
物事は変化する 人々は変化する
万物は変化する
愛情は変化する 友情は変化する
誰もが変化する
ひとつも不思議に思わない
それこそが この世界の姿
かつて君を愛したとは信じ難い
君が俺のことを、
一度ならず 二度も騙したから
これは 俺の不徳の致すところ
思うに俺は正気を失ったのだ
確かに俺達は相思相愛だった
次第にお互い欲張りになった
誰のせいにも出来ないものなのさ
君には似合いの誰かがいたようだ
過去の回答なんて糞食らえ
今の俺とは全く違う
もう そうじゃない
ふざけんなウィキペディア
畜生 その他 全ての情報
どんだけ赤の他人なんだよ
この愚か者を俺は知らない
物事は変化する 人々は変化する
万物は変化する
物事は変化する 人々は変化する
万物は変化する
愛情は変化する 友情は変化する
誰もが変化する
ひとつも不思議に思わない
それこそが この世界の姿
君はそれを認めなくてはならない
まだわからないのか?
いつか大きな哀しみが
君の元に訪れるだろう
そして 君は知ることになる
俺のようには誰も愛せないと
君に俺は それしか言えない
英語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6183188
「Change pt.2」
作曲・作詞:RM , eAeon
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今回は2022年12月にリリースされたRMのソロ・アルバム「Indigo」収録曲 "Change pt.2" を意訳・考察していきます。
ナムさんが「国内で最も尊敬する方」と表敬し、2021年に "Don't" でコラボ経験があるeAeonとの再タッグが実現したこの "Change pt.2"。
編曲を依頼するために自宅まで訪ねて来たナムさんのことを「Indigo」ビハインドに出演したeAeonが振り返っていますが、ガイドボーカルをワンテイクで歌い上げて帰って行った、とのこと。実はこの訪問はかなり酔った勢いであったことをナムさん自身が明かしています。
しかも結局、そのガイドが収録音源になったようです。
ある意味人間臭くて即興性のある生々しい歌唱に施されたアレンジは、典型的なK-POPとは一線を画す〈前衛的な試み〉になったと両者共に解説しています。芸術性の高いアレンジは彼の近しい音楽人の心を最もつかんだとのエピソードからも、その際立った個性を窺い知ることができます。
1.Change「pt.1」
タイトルの「pt.2」が示す通りナムさんには既に、2017年3月にSound Cloudで発表された "Change" という名の自作曲がありました。アメリカのラッパーWaleとの共作で世に出たこの楽曲は、それぞれが抱えていた社会に対する疑問や憤りをぶつけるものとなっています。
Waleの言葉を伝える2017年当時の記事では、彼が自分が身を置く音楽業界に対してどう考えているのか、その一端を知ることができます。↓
このような制作スタンスを持つWaleからコラボの依頼を受けた当時のナムさんの心境が2017年3月の記事に残っています。↓
ここでナムさんは、楽曲 "Change" は「like a prayer for change(変化に対する祈りのようなもの)」であるとしています。
楽曲を通して社会に一石を投じ、変化を望む。
"Change" は「より多くの人にメッセージを受け取ってもらう」ために大衆音楽ジャンルでのデビューを選んだひとりのアンダーグラウンド・ラッパーが、その本質を存分に活かして行動した結果のひとつであったと言えるのではないでしょうか。
そして今回、同じ「変化」をテーマとしたこの "Change pt.2" ですが、"Change" との関連性は全くないのだとナムさん本人がビハインドで断りを入れています。とはいえ、彼が「変化」という抗えない現象に対してひとつの観点を確立していることが、二度目のタイトル採用に至ったことからもうかがえると思います。
2.万物は変化する
"건망증(Forg_tful)" に関する言及の中でナムさんは、心境や感想は常に「変化」するものだという趣旨の発言をしています。
「変化」は時に困惑を招き、否定や拒絶をされる原因となる。それでも変わらないものなどありはしないし、変わって当然、おかしいことなど何もない、との前提がコーラスの歌詞では示されています。
※1 no+形容詞…決して~ではない(参考)
命あるものは皆「慣れ」に安心を抱き、その状態を無意識に維持しようとする。未知なる存在に対する警戒心はいわゆる本能として生命に備わっており、危険を承知で自ら変化を求めるような生物はおそらく、ヒトぐらいではないでしょうか。
ナムさんも「変わらないものが好き」だと自身の傾向を把握している様子ですが、同時に「結局全て変わる」ものであると矛盾をはらんだ結論にも至っています。
アルバム収録曲の中には静物画を出発点にした楽曲 "Still Life" があり、自分は「멈추지 않는 정물(止まらない静物)」であると表現していますが、ここには自ら分析している通り〈変化を嫌悪(=静物)しながらもすすんで変化する(=止まらない)という矛盾〉が表現されています。
※2 fool me once, shame on you; fool me twice, shame on me…一度だけ騙したなら相手の恥、二度騙したなら己の恥(参考)
※3 lost one's sanity…正気を失う(参考)
※4 for sure…確かに(参考)
※5 They say…〜ということだ、〜らしい(参考)
※6 (It) seems (that) ~…~のように思われる(参考)
心境の変化は時に、自分や他人を傷つけ失望させることもあります。
相手が変われば裏切られたと感じるし、過去の自分を理解できない他人のように感じることもある。
信頼関係が崩れる程の裏切りは、一度目までなら手のひらを返した側に非があるけれど、二度目ともなれば一度目で学習できなかった側の落ち度にもなる。
そしてそういう裏切りを繰り返しはたらくような人物を、かつて自分が愛していただなんて信じがたい。我ながら正気の沙汰ではない。
それでもひとつだけ確かに言えることは、変化がもたらす失望の責任は誰も負うことができないということ。
なぜならば、万物は「変化」するものだから。
3.過去の自分は別の人
私は記事を作るにあたり、デビュー時に至るまでさかのぼって当時の彼らの言動や心境を推し量ることを積極的に行っていますが、そういった「過去のインタビュー」の内容を現在の自分の姿と完全に切り離そうとしているのが次の箇所です。
※7 What a 名詞…なんて~だ(参考)
当時の意見でしかない過去のインタビュー内容を現在の自分に当てはめられても困る。今の自分はもうそうではない。
自分の人生を他人が勝手に語るウィキペディアも許しがたい。書いてあることの全てが事実とは限らない。そこに書いてあるのは今となっては全くの別人の情報だ。
ウィキペディアは取り急ぎの調べものをするには便利なツールですが、項目の当人にとってはずいぶんと歯痒いものであることに違いないでしょう。自身の変化をリアルタイムで追えるのは自分だけなのですから、他人が語る過去の自分の姿に違和感を持って当然なのです。
wikiに限らずあらゆる媒体において、彼らについてすべてを知っているかのように原典の明記もないまま伝聞情報だけを元にあれこれ語り、彼らの人格・人生を利用して多くの人の関心を得ようとする第三者の言葉は、いくら内容が肯定的でも本人にとっては実際クソったれ以外の何ものでもないのではと思います。
また、過去と現在の間に「変化」は必ずあるのだということが理解できない者が、彼なら/彼らならこんなことしない、こうするはずなどとして、一個人の視点から見た'ズレ'を力づくで補正しようとすることは、現在を生きる彼らの存在そのものを否定する行為に他ならないと思います。
4.変化を認めてこその愛
「変化」はするものである。という当たり前を受け入れることが自分にとっても相手にとっても最低限の礼儀であり、心地よく流れていく時間を共に愉しむための条件になる。
そんな相互許容を諭す言葉でこの歌詞は締めくくられています。
※8 gotta=have/has got to…~しなくてはならない(参考)
※9 get it…理解する(参考)
「変化」を許容できないまま過去にこだわっていると、現在を否定することでしかその先に道はなく、大きな悲しみという結果を待つのみでしかない。結局、否が応でも「変化」を身をもって知ることになるだろう。
「変化」を認めることができた自分が「変化」を認めることが出来ない君に向けて言えることはこれしかない。
「変化」を認められないうちは、誰かをまるごと愛することなどできはしない。
即興性を活かした前衛的なこの短い楽曲は、お膳立てされたスタジオや舞台で展開される無難な表現とは明らかに別もので、一切忖度の無い不穏な音質の歪みが怒りとも恨みとも、諦めとも取れるざらついた感情を的確に表しているように思います。
全幅の信頼を置く先輩の胸を借りて広げたその心は、変化を認め受け入れることは即ち、愛を与え受け取るための術であることを訴えかけるものでした。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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