大人になる。を考えてみる
"卒業まであと半年もないんだね"
最近、こんな会話が友だちと増えてきて、卒業までのカウントダウンがはじまっていることを実感した。
卒業研究を頑張りながらも、地域おこし系のインターン的なことをしたり、地元のバレーボールチームのホーム戦で当日スタッフのバイトをしてみたり、資格試験に向かって勉強してみたり、やりたいことをやる!みたいな、私らしいなと思う、高専生最後の詰め合わせパックのような日々を、最近は過ごしている。
大前提、卒研もやりたいと思ってやっていることも、のびのびめっちゃ楽しめているし、今を思いっきり生きているっていう実感はある。
こんなことしたいなとか、こんな道もありかもって、自分のこれからにいろんな道があるのかもって思えるようになった。
でも、ふいに自分のこれからを考えて不安になってしまう。
きっと、社会に出てやっていけるのかなとか、大人になるってどういうこととか、先の見えなささに不安なんだよね。
結局、どうにかなる!って思って、ピントをグッと今に合わせて、今を見るんだけどさ、最近そのピントの調整がちょ〜っとうまくいかなくって。
こんな違和感を大切にしようと思えているから、ちょっぴり先のことを考えてみてもいいのかなと思って、ここで向き合ってみることにした。
社会に出てやっていけるのかなって、大人になれているのかな私って、大人になるって何?って思っていた私の背中を押してくれたのは、なりたい私の姿に導いてくれたのは、大好きな音楽と、出会った人生の先輩たちが私に渡してくれたものだった。
これからが不安になって、なりたい自分がわからなくなっている、いつかの私へ
"大丈夫。"そう思って、また自分のあしで歩きはじめられるものが渡せますように。
好きを握りしめている人生の
先輩たちの背中
ちょっと前に大好きなSUPER BEAVERのライブにいってきた。
チケットが取れなくって、ほんとうなら、ライブ会場に入れなかったはずだった。
だけど、再開とご縁が重なりに重なって、巡りめぐって、チケットが私のもとに。
もちろん、ライブも最高だった。
でも、それ以上にかっこよすぎた人生の先輩たちに出会わせてもらった。
ライブ入れてよかったね!楽しんでね!楽しもうね!気をつけて帰るんだよ〜!というあったかい言葉を渡してくれた、好きを握りしめて全力で愛するかっこよすぎるお姉さま方。
SUPER BEAVERじゃない音楽の世界の話とか、
どうしてこんなに音楽が好きなのかとか、音楽をするためならどこへだって行けちゃうって話とか、今の安定した仕事を辞めてもこの人たちと仕事がしたいって思うよねって話とか、若いんだから人生こっからだよって話とか、ライブはじまるまでの数十分でいろんな話を聴かせてくれて、
"これも何かの縁だから"と言って、"またどこかで"と見送ってくれた、ちょっぴりこわもてだったけど、すっごく優しかったおじさま。
好きを握りしめて全力で愛する先輩方の背中は、やっぱり、大きくって、きらきらしていて、追いかけたいと思わせてくれる背中だった。
大好きなSUPER BEAVERという音楽が、また、かっこよすぎる人生の先輩に出会わせてくれた。
好きを握りしめて全力で愛せる人でいたい。
気づけば、1つ、なりたい私の姿に導いてもらっていた。
20歳最初のライブがこんな形になるなんて思ってもいなかったけれど、ほんとにほんとにこの時でよかった。忘れられない、一生の宝物がまたひとつ増えました。
音楽が教えてくれたこと
挫折を笑い話にできた時、大人になれると思った
今までぶつかってきた壁も、超えてきたハードルも、抱えていた不安も、いつしかぎゅっと握りしめて、私の背中を押してくれるものになっている。最後に一歩踏み出す時、自分で自分に言ってあげる"大丈夫"を信じれるようになったのは、こんな経験を積み重ねてきたから。
挫折と言えるほどのものではないかもしれないけれど、傷ついたり、悩んだり、わからなかったり、泣いたり、そんなものが私を強くしてくれたと思っている。
だからこそ、ライブで生の音楽ではじめてきいた時、挫折を笑い話にできた時、大人になれると思えるような気がして、ぐっと私の中に入りこんできた。
強くなることと大人になることが、イコールになるってわけじゃないと思う。
だけど、そんなふうに強くなって、ちょっとずつ大人になっていくんじゃないかなと思わせてくれた。
大人になることは出会いが増えていくこと
今、私がこんなことを言葉にしてみたくなるほど考えるようになったきっかけは、間違いなく、とあるライブでのやなぎのこのMC。
なんか、刺さりまくったし、再開と出会いに恵まれて、音楽ができた日だったから、すっごくじーんときちゃって。
人との出会いにわくわくするようになったここ1年。
私のわくわくの原点はかっこいい大人との出会いで、わくわくして行動する先にあるのはいつだって人との出会い。
だから、この言葉を受けとった時、おとなに少しだけ近づけている気がして、ここまで歩いてきた道が間違ってなかったって思えて、すっごくホッとして。
それと同時に、出会いが増えていくことが大人になることなら、大人になるって、あんがい悪いことじゃないかもしれないって思わせてくれた。
やっぱり、いつまでも出会いにわくわくできる人でいたい。
やなぎから受け取った言葉に、そう思っていた時、こんな曲に出会った。
なんかすごくハッとさせられて。
出会いが人生のすべてだと思わせてもらえるほどの出会いをさせてもらい続けて、その中で自分自身のほんとうに触れて、自分を知ってきたという感覚と、
出会いが増えていくことが大人になることだというやなぎの言葉が、この曲のこの歌詞をきいた時に繋がったような気がした。
おとなになるって出会いが増えていくこと。
そして、人との出会いと同じ分だけ、自分自身にも出会うし、そうやって自分自身を知っていくし、強くなっていくし、大人になっていく。
音楽がまた1つ、私に教えてくれたこと。
あとがき
"どうして働くと思う?"
ふいに、お母さんから投げられた問いに、私の言葉で見つけた答えは"生きるため"だった。
お母さんは、ちょっとびっくりしたように笑いながら、"そうだね"と言って、"あとは、わくわくするためだよ"と話してくれた。
社会に出ること、大人になることが怖くって、わからなくって。でもそんなことをまわりに求められている気がして、焦りと不安と怖さの中、行動することでしか変わらないからと、行動あるのみだった就活中の1年前を思い出した。
これからは激動の時代だとか、働き方の多様性だとか、何かいろんなことが言われていて、1年たった今だって、社会に出てやっていけるのかなって不安だし、大人の定義なんてわからないし、春から社会人になるっていうのに、これから私はなんのために働くのかよくわからない。
私が動けなくなったり、不安になったりする理由は、だいたいが、見えないわからない、これからのこと。
今、ここで言葉にしていて見つけられた。
見たい景色なのか、見たかった世界だったのか、自分のあしで見に行かないとわからないけれど、自分のありたい姿は、どんな時でも私の道標になってくれるはず。
イメージできることはすべて実現できるし、イメージできないことは実現できないんだって。
なりたい自分になれるのは自分だけ。
思った通りにはならないけれど、やった通りにはなる。だったら、行動あるのみ。
よし。
今日もやさしく強くしなやかに生きていく。