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島で暮らした日々のこと③〜思い出編〜 

「島で暮らした日々のこと」の最終回。
どんなことを書こうかとても悩んで、暮らした日々に起こったいろんなことが当たり前の出来事すぎて何が島らしい出来事だったのかを振り返るのに時間がかかってしまった。
島に暮らし始めた時「私は本当にここでやっていけるのか」と思ったけど、少しは島民になれていたんだなと思った。

鍵という概念の欠如

島に引っ越した日、一人で新居にたどり着くと家の鍵は空いていた。
玄関を開けると左手に下駄箱があって、無造作にそこに鍵が置かれていた。
家の中には先に郵送した段ボールが4つ程置かれている。
置き配にはしていない。ましてや家の中になど。
誰もいないし、家の中は空だし、社宅のようなところなんだけど管理人も同僚がやっている(当番制で回ってくる)ので平日の昼間に管理人と鍵の受け渡しはできるはずもなく・・・開けっぱなしになるのは仕方ないのかなと思った。

上陸当日の様子はこちらを読むとさらに寂しさが込み上げるのでおすすめです。

引っ越しの荷物が全て搬入されたのは、入居から3日後だった。
ゆっくりと新生活が始まり、ネットで買い物をすることも増えてきた。

ネットでの買い物はAmazonさんにかなりお世話になりました。翌日配送は無理だけど、海が荒れなければ2〜3日で届く。もちろんAmazon会員は無料。ちなみに楽天は離島は別途配送料がかかったり、発送不可だったりするところが多い。

日中、突然玄関ドアをガチャガチャ強く引かれることがあった。
誰かが侵入しようとしている!!!!
え、怖い。こんな小さな島でそんな事件ある????
玄関の前に立ち尽くし、ガチャガチャするドアを見つめるしかできなかった。
(いや、怖いなら部屋の奥に逃げるべき)
ガチャガチャが静まると呼び鈴が押された。

後出しピンポンだ。完全に順番を間違えているじゃないか!!

ドアを開けてみると運送屋さんのお兄さんがAmazonを抱えて立っていた。

島には運送業者は一社しかなく、郵便やゆうパック(郵便局はちゃんとある)以外の荷物はすべてこの運送業者が代行して島の全戸に配達してくれる。この業者はヤマト運輸と提携していた。ヤマト運輸とAmazon以外の運送業者の荷物は配達された記憶がない。(私の記憶にないだけかも)

運送業者のお兄さんに「今後、荷物どうします?」と聞かれた。
どういうこと???とキョトンとしていると「置き配でいいですか?」と。

なるほど。
島に届くほぼ全ての荷物を代行しているから、毎回置き配指定しなくてもこの人に事前に言っておけば、置き配してくれるのか(生もの以外)。
なんと親切な仕組み。
私が島に移住した年は、絶賛コロナ禍だったこともあり当然置き配をお願いした。

それから、次の荷物が届いた日。
また突然玄関ドアがガチャガチャされた。今回は後出しピンポンがない。
え、怖い。
・・・しばらくして、そっと玄関を開けると荷物が置き配されていた。

仕事から帰った夫にこの話をすると
「そうそう。島の置き配は家の中に放り込まれるらしい」
謎である。家の中に置き配。
それは、=家人が受け取るということではないのか。
しかも、放り込まれる。(放り込むな)
詳しく聞くと、島民は家の鍵をかけていないらしい。
自分が家に不在でも、だ。だから、家の中に置き配される。

つまり、家人が家にいても、いなくても
突然ドアが開き「こんちはー!荷物でーす」と置いていかれるということだった。

勝手口から来る三河屋のサブちゃんか。

それを知っても、鍵を常に開けておくことに抵抗があった我が家は都心に暮らしていた時と同じように鍵を閉めておく生活を続けた。
いずれ内地に戻る。その時に「鍵を閉めない」ということが習慣化されてしまうのが怖かった。

荷物が届いた時にドアをガチャガチャされるのは、しばらく続いたがそのうち運送業者も慣れたようで静かに玄関前に置き配されるようになった。

このようなシステムなので、島には時間指定という概念もない。
当然だ。いつでも家の中に置ける(受け取ってもらう必要がない)のだから。

観光地に暮らすということ

島に旅行に行ったことはあるだろうか。
沖縄本島くらいの大きさ(栄え具合)ではなく、人口の少ない小さな島に。

私が住んでいた島は、人口1800人弱。周囲約22km、面積18.58㎢。
島を一周できる道路はなく、半周するとしたら車で40分。
面積約18㎢がどのくらいかというと↓
兵庫県芦屋市/愛知県北名古屋市/埼玉県朝霞市/大阪府大東市/埼玉県戸田市/埼玉県八潮市/東京都稲城市
この辺りの市が同じくらいらしい。
みなんさんに身近な市はあったかな。

私自身、島に住む前には石垣島・竹富島・種子島・八丈島・伊豆大島などに旅行していた。
あの頃は、旅行中にその土地に住んでいる人たちから自分たちがどう映っているかなど考えもしなかった。(もちろんマナーは守っていたけど)

島民の努力

私が住んでいた島は、私個人のイメージだが喫煙率がかなり高かった。
だけど、吸い殻は落ちていない。
村の中にゴミ箱は設置されていない。公共のゴミ箱があるのは港の建物の中だけ。
だけど、ゴミも落ちていなかった。
自販機は各所にあったけど、自販機横にゴミ箱はない。
島唯一のスーパーの自販機だけがペットボトル・缶用のゴミ箱を備えていた。

島のスーパーでレジ打ちしていました。採用されるまでの道のりはこちら。

夏、観光シーズンが到来するとひと月で島民の人口を超える旅行者がやってくる。
とても残念なことだけど、旅行者が増えるとゴミのポイ捨てが増える。
スーパーの自販機のゴミ箱(ペットボトル・缶用)には惣菜パックが押し込まれるようになる。
ゴミが増えると観光シーズンが来たなと感じるほどだった。
それに気づいた時、島民が日々島の自然を守る努力をしていることを実感した。
ゴミ、持ち帰ろうね。多分、民宿で捨てさせてもらえる。

お土産屋さんと地元スーパーは見極めて

私はスーパーでレジ打ちのバイトをしていた。
繰り返しになるけど、島にはスーパーは1軒しかない。コンビニがちょっと大きくなったくらいの広さのスーパーだ。
みんなが日常の買い物に行くようなスーパー。

ある時、そのスーパーにビキニ姿の女性が現れた。
もう少し布を当てがった方が良いのでは??と思うほどの見事なビキニで。
女性はスーパーの入り口で振り返り「なさそうだよ」と言った。
すると、後ろから浮かれた柄の海パンを履いた男性が現れ、レジにいる私に向かって大きな声で「すいませーん。浮き輪あります?」と聞いてきた。

「ない・・・です」

浮き輪ありますか?の質問は、観光地によってはシーズンで浮き輪置いたり、バーベキューセット置いたりするから分かる気はする。
(店構え的に置いてないのは明らかではあるけど)
でも、その何もまとわない水着オンリーはさすがにね。
小さい島とは言っても浜まで10分くらいの場所のスーパーでさ。
そこは、島民が当たり前に日常を送っているわけで。
こっちとしては、ちょっとびっくりしちゃったよね。

非常識はどちらか

ある日、いつものようにレジ打ちに励んでいると50代くらいの二人組、おそらくご夫婦の旅行者が来店した。
すると、そのお客さん(旅行者)は自分たちが持ってきたビニール袋に直接商品を入れはじめた。
お店のカゴはちゃんと入り口にあったし、気づかなかったとは考えにくい。

新手の万引きか。

すぐに社員を呼び状況を伝えた。
このおかしな光景は光の速さで全社員に伝わり、全員が一丸となって監視体制に入った。
そのお客さんがビニール袋に入れた商品を持ってレジにやってきた。
(まじか。対応が面倒だ。でも、もう一台のレジは高校生バイトだし、私の方で良かったか・・・)と瞬時に巡らせた。
ビニール袋に入れた商品をどうするのかと思っていたら、レジ台に置いてあるカゴに移し始めた。
私は、カゴに移された商品をピッピしながら会計済みカゴに入れる。
常識的に言わないわけにはいかないかと思い「店内ではカゴをお使いください」と声をかけた。
すると、驚く返答が飛んできた。
「ちゃんと消毒してあるかも分からないカゴなんて使えるわけないでしょ!!」
と女性が怒鳴ってきた。

絶句。
(絶句ってこういう状態を言うんだな・・・)と思うくらいの綺麗な絶句。
あまりに驚いてしまって何も言い返せなかった。
そして、男性の方は会計済みカゴをサッカー台(商品を購入した顧客が、会計後に袋詰めを行う台)に持って行き、先ほどのビニール袋に詰めている。

(レジ通ったら結局カゴ使ってるじゃん!!!!)

女性が「ちゃんと消毒しているか分からないカゴ」と言ったが、当時はコロナ禍で、あの、国をあげてのアチコチ行かないようにしようね!の真っ只中だった。

表示こそしていなかったが、カゴの消毒は定期的にしていた(効果のほどは分からないが)。
そもそも、島ではまだ1〜2人しか発症者(感染者)がいなかったし、発症してもどこの誰だかはすぐに噂で広まった。
だから、互いに感染しないように距離を取るのは容易だった。

まさかコロナ禍に旅行に来た島外の人間にカゴの消毒について怒鳴られるとは思わなかった。
そのお客さんが店を出た後、もう一つのレジをやっていた女子高生がブチギレた。

「なんすか!今の!!!
コロナ持ち込んでんのはそっちだろ!!!老害だ!!!!」

本当にその通りだ。君は全く間違っていない。
その正しい判断をもったまま大人になってねと願った。

この出来事から程なくして島でもコロナが大爆発した。

島の植物と生き物

見るのも嫌になったアレ

島に行ってGと同じくらい、いや、Gよりも苦手になってしまった虫がいる。

クモだ。

アシダカグモというクモがいる。
Wikipediaでも貼っておこうかと思ったけど、でっかくイラストが表示されてしまうので無理でした。
リンクつけておいたので大丈夫な方はどうぞ。

彼ら(アシダカグモ)は、一般的なクモのように〝蜘蛛の糸”で巣を張って獲物を待ち構えるのではなく、ハントするタイプのアクティブなクモ
彼らの獲物は、主にGである。
G、つまり家の中が主戦場、狩り場ということになる。
当然「G獲ってくれるならいいじゃん!」と思う人もいる。益虫。
島民の多くが彼らと共同生活を送っていたが私にはできなかった。
なぜなら、めちゃくちゃデカいから。
「大きい」ではなく、あえて「デカい」と言いたいくらいにデカい。
島に住む彼らは、立派に育つと成人の手のひらくらいの大きさになる。
その時点で私の中では規格外すぎて受け入れ難かった。

ある日、ソファでくつろいでいるとカタカタカタカタ・・・・と音がした。
音がした方に目をやると彼が壁を走ってた。
それが私と彼との初対面だった。
クモって走るんだ・・・足音するんだ・・・・(号泣)
クモという存在が完全に無理になった瞬間だった。

島で一番大きい動物は

島にはクマやイノシシ、シカ、サルなどの動物はいない。
私が見た野生動物の中で一番大きいのは野ネズミだった。
とても小さいので、多分ヒメネズミ。
他に陸地の生き物はヘビとトカゲ。浜にはオカヤドカリ。
それくらいの動物しかいないとヘビとトカゲがめちゃくちゃ多い。
ヘビもトカゲもシーズンになると我が物顔で道路で日向ぼっこしている。
島に住み始めてすぐは歩くたびに草むらがガサガサと音を立てて何か猛スピードで動くので、その度に「ぅわっ!!」「ぎゃっ!!!!」と騒いでいた。
慣れてくると、そのガサガサすら環境音と化す。
子どもの中にはヘビを素手で捕まえられる子がいたし、トカゲを何匹も虫かごに入れて集めている子もいた。虫カゴならぬトカゲカゴ。
そして、それを友達に配る。
え?いる??

四季の感じ方

日本には四季があり、地域にもよると思うけど多くの場所では植物で四季を感じることができる。
花の香りや紅葉、紅く色づく山はとても美しい。

が、しかし
島には紅葉がない。
山はいつも緑。シダ植物がとても多かった。シダ植物のない季節に何が生えていたか記憶にないほどシダの勢力がすごかった。

紫陽花が自生していたが、私の背(155cm)より大きかった。
木じゃん。紫陽花って木ってカテゴリーのイメージなかった。

強い潮風と土壌のせいで植生はかなり偏っていた。
それでも、野生の植物による恵はあった。
明日葉、マルベリー、木苺、クレソン、タラの芽、ゼンマイ、夏みかん、わらび
これらを収穫することで四季を感じることができていた。

島で野草や野生の果物を獲って食べることを経験してから、内地に戻っても食べられる野草や果物はないかとついつい探してしまう。
あ、ついついではなく、なんなら探しに行っている。

内地に戻ってからの夫は「ねえ、あれ、たらの木じゃない?」「あれは○○って名前で食べられるらしいよ」が常套句になっている。
食べたすぎるだろ。

おわりに 島で暮らして良かったこと

夫の出勤が朝遅く、夜早くなった。
これはもう本当に。通勤が徒歩10分なので無駄なストレスがなくなった。何より、21時22時まで職場に居た夫が夕方にきちんと帰ってくるようになった。
身も心も健康。

友達ができた。
もしかしたら、一方通行の気持ちかもしれないけど、友達と言える人ができた。大人になってから新しい関係を築くのは難しいけど、島という小さなコミュニティで社宅みたいな環境でまた会いたいと思える人や、連絡を取りたいと思える人に出会えたことは本当に嬉しいことだった。

コミュ力がちょびっと上がった。
コミュニティが小さいことで顔見知りがほとんどだし、友達の友達は友達みたいな現象が起きやすくなる。
人と関わることが割と苦手だったけど、避けられない広さなので自然とコミュニケーションへの免疫がついた気がする。

自己理解が深まった。
自分の苦手を理解しているつもりだったけど、想像以上に苦手なことが苦手すぎた。上陸してからの数週間は全てが初めての人、場所だったので、正直生きた心地がしなかった。泣きそうなくらい不安だった。でも、それをどうしたら乗り越えられるのか、自分は何で頑張れるのかをより深く知るきっかけになったと思う。

島で出会ってくれた全ての人に感謝しています。
ありがとう。またいつか。















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